2014年12月13日土曜日

熱帯雨林の役割

人類が活動を始める前には、地球Lの陸地面積の半分近く、約六〇〇〇万平方キロメートルが森林におおわれていたといわれています。現在、森林は約二○○万平方キロメートルと推計されていますから、半分近くにまで減ってしまったわけです。森林の消滅は第二次回界大戦後、とくにこの一〇年問、目立ちます。その人部分は熱帯林です。熱帯林は年平均一七万平方キロメートルの割合で消滅していると推計されています。日本の国土面積の約半分です。

一口に森林といっても、数多くの種類と形態があります。樹木の種類によって、広葉樹林、針葉樹林、竹林などに分けられたり、雨林、常緑季節林、落葉季節林などと呼ばれたりすることもあります。森林はまた、密生林、疎生林に分けられます。密生林というのは、樹冠(木の梢)がびっしり重なって、上からみるとすき間なく緑のじゅうたんを敷いたようになっている森林を指します。疎生林は、樹冠は連続していないが、少なくとも林地面積の一○%を占めていて、草地が連続的に林地をおおっているような森林を指します。人工林、休閑林地、濯木林なども森林に含まれます。

地球温暖化との関連で重要な役割をはたすのは熱帯雨林です。熱帯雨林は、年中を通じて雨の多い熱帯にある密生林を総称したものですが、地域によってさまざまな種類をもち、多様な形態をとっています。世界の熱帯林ニ○○○万平方キロメートルのうち、熱帯雨林は一ニ○○万平方キロメートルを占めています。このように、面積からみると、熱帯雨林は世界の森林のほぼ三分の一ですが、植物体の量でみると、熱帯雨林の占める割合ははるかに大きなものになります。

一般に、地表上にある生物体の量を、乾燥収量ではかってバイオマスとよびます。地球全体のバイオマスは現在約一兆ニ〇〇〇億トンと推計されています。人類が活躍する前には約一兆四〇○○億トンあったといわれていますから、約半分に減ってしまったことになります。地球上のバイオマス全体のうち、森林のバイオマスは約九〇パーセントを占め、熱帯林のバイオマスはその半分を占めるといわれています。

このように森林のバイオマスが巨大な量に上っているのは、樹木は何十年、何百年、ときには何千年も生きつづけて、植物体をつくるからです。樹木が成長するのは、一枚一枚の葉がせっせと光合成をおこなって有機物を生産しているからです。一枚一枚の葉には、多数の気孔があり、葉緑素がたくさん含まれていてさかんに光合成をおこなっています。光合成というのは、太陽の光エネルギーを利用して、大気中の二酸化炭素と水を合成して、炭水化物有機物をつくり、同時に酸素を放出することです。生命体を形づくっているのは有機物ですが、植物の光合成を通じてはじめて地球上の生命体が命を保つことができるのです。

2014年11月13日木曜日

民事・商事トラブルの主たる原因とは

もし民事だけで激しく争われていたのであれば、状況はまったく変わっていたかもしれません。某知事の目論見通りになっていた可能性も充分あったのではなかろうかという気がします。ともかくここで言えることは、日本では、民事紛争における証拠集めが、とても難しいということなのです。

日本の民事裁判で何か大変かというと、「ほとんど自分の手持ち証拠でやらなければいけない」という問題があります。これがアメリカと日本の大きな違いです。

裁判を起こそうとする場合は、「何か自分の手持ち証拠を持っていますか」と弁護士に聞かれます。「はい、持っています。この通りです」と言って完璧な証拠を出してこられる人は、逆にちょっと危ない人というか、注意しなければいけない依頼者であって、普通そのような人はなかなかいません。

刑事事件ならば、国家権力が捜査して強力に証拠を集めてくれます。しかし、それが犯罪事件として取り上げてもらえなければ、どうしようもありません。国民の多くが巻き込まれるのは、犯罪事件とまではいえないような民事・商事のトラブルなのです。

そうした事件では、たいてい過去に起きたことが問題となります。例えば相続問題であれば、その家族では何十年も昔のあの時どうだった、こうだった、というような話が非常に重要な争点になることがあります。

2014年10月13日月曜日

日本の政策やビジネス慣行が原因

競争の面でも協調の面でも、二一世紀の日本は二〇世紀後半に経済的に大成功をおさめた日本とは異なる在り方を要求されるだろう。経済大国には特権かある半面、責任もある。経済大国の動きには世界経済の行方を左右するだけの影響力かあるのだから。日本も世界経済を支援し改善していこうという意識を持たなければならない。こうした意味で、日本の膨大な貿易黒字はアメリカ、ヨーロッパ、韓国、あるいは台湾だけの問題ではなく、日本にしか解決できない世界経済全体の問題としてとらえるべきだろう。

日本が来る年も来る年も巨額の貿易黒字を重ねていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。日本が世界じゅうの国々で資産をつぎつぎに買い占めていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。誰にも具体的な数字はわからないが、永遠に続かないことだけは確かだ。日本に対して支払わなければならない配当や利息が膨らみ続ければ、そのうちに各国の支払い能力を超えてしまう。だが、こういう形でゲームの終わりが来る前に、世界の国々は自国の市場から日本を締め出すだろう。そうなれば、日本は世界経済の舞台で孤立してしまう。

しかし、日米貿易赤字が解消不能なほど大きくならないように、よその国が外から手を加えて日本を改造しようとするのは、まちがいだ。これは、当事国の日本にしかできないことだ。実務的にも政治的にも、よその国が手を下して日本を改造することは不可能だ。日米の貿易問題に焦点を合わせたものではないが、日米間の貿易交渉や一九九二年一月にブッシュ大統領が訪日した際の話し合いの内容を見ると、まちがいがたくさん目につく。アメリカ政府は、対米黒字を減らすために経済をこう改造しろああ改造しろと日本に指図すべきではない。

また、指図する立場にもない。日本の有権者が安い品物を欲しくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。コメの値段が世界の相場よりはるかに高くてもいい、家が狭くてもいいと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の消費者がアメリカやヨーロッパや環太平洋の新興経済諸国で作られた製品を買いたくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の国民が消費生活水準をもっと向上させるために現在の経済システムを変えたいと思うのなら、彼らが自分たちで政治に訴えて希望をかなえるべきなのだ。

もちろん、日本の政策やビジネス慣行が原因で恒常的な貿易赤字を被っている国は、現状をなんとか変えなくてはならない。しかし、結局は自国の側で解決策を実行する以外に手はないだろう。対日赤字を解消するためには、自分たちの経済競争力を強化するか、日本の市場に参入するなんらかの手段を見つけるか、自国の通貨価値を下げるか、日本からの輸出攻勢を食い止めるかしなくてはならない。日本としては、事態を放置して相手国にそのような措置を取られた場合と、自分からすすんで貿易黒字を減らす対策を講じた場合と、どちらか打撃が小さくて済むか、考えてみたほうがいい。

日本からはっきりと頼まれないかぎり、いかに善意であっても。アメリカは公式にも非公式にも「日本はこう変わるべきだ」などと口出ししないことだ。第二次世界大戦は、はるか過去になった。二一世紀の日本のあるべき姿は、日本人が明快な手続きを経て自分たちの意思で決めていくだろう。第二次世界大戦直後にアメリカが描いて与えた日本の姿は、もう時代おくれだ。また、たとえ時代おくれでなくても、日本にとって自分の意思で決めた政治・経済体制のもとで生きていくことは、心理的に大きな意味を持つはずだ。

2014年9月12日金曜日

伝統的なアメリカ人の価値観

「オズの魔法使い」の最初の刊行から二〇年ほど前のことです。一八八〇年から九六年にかけて、アメリカでは物価が二三%も下がりました。当時、西部の農民の多くが、東部の銀行からの借金で開拓を行っていたため、農民は苦しみ、銀行などの産業資本は潤うことになりました。デフレではお金の価値が上がり、借金が膨らむことになるからです。当時はアメリカを含む多くの国々が、貨幣制度として金本位制を採用していました。金本位制とは、金を本位貨幣とし、通貨の単位価値と一定重量の金とが、金兌換(交換)・自由輸出入を通じて、等位関係で結びつけられている制度です。ざっくりいえば、一国のお金の価値が、その国がもつ金の価値で裏づけられている、ということです。

ちなみに現在は、一国の通貨の数量を、金の保有量などによって決めるのではなく、通貨当局(中央銀行)が通貨価値の安定、完全雇用の維持など、経済政策上の目標に従って管理する制度(通貨管理制度)がとられています。金の制約から自由になって、お金の量を決めることができるわけですね。話を戻すと、この強烈なデフレは、拡大するアメリカ経済に対して、金貨の供給が追いつかないことで発生したのでした。対策としては、金銀複本位制を採用して通貨の量を増やすしかありませんでした。金銀複本位制とは、通貨の裏付けとして、金だけでなく銀も用いる制度です。当然、金本位制に比べて通貨の発行量を増やすことができます。いずれにせよ、お金の量が金や銀の量で決まることに変わりありませんが。

実際、一八九六年のアメリカ大統領選挙では、これが大きな争点になりました。共和党のマッケンジー候補は金本位制を、民主党のブライアン候補は金銀複本位制を主張したのです。今日的な言葉でわかりやすくいいかえれば、共和党はデフレ政策を、民主党はリフレ政策(インフレにならない程度の物価上昇政策)を主張したというわけです。「オズの魔法使い」の登場人物に話を戻しましょう。まず「オズ=OZ」は金の単位であるオンスの略号です。主人公ドロシーは伝統的なアメリカ人の価値観を表しています。カカシは農民、ブリキの木こりは産業資本、ライオンは民主党のブライアン候補です。

最後にドロシーは、自分の家に帰る道を見つけるのですが、それは黄色い煉瓦道(金本位制)を単純にたどるものではありませんでした。自分の銀のスリッパ(金銀複本位制)の魔力でやっと帰ることができたのです。実際の大統領選挙では、共和党のマッケンジーが勝ち、金本位制が維持されました。それで、デフレから脱却できたのでしょうか?実は、一八九八年にアラスカで金鉱が発見され、さらに南アフリカからも金が持ち込まれるようになり、結果として十分な通貨量になりました。このため、一五年くらいでデフレ前の物価水準まで回復するような、マイルドなインフレになりました。単純に金本位制を維持したから、デフレが解消したというわけではなかったのです。

城山三郎氏の『男子の本懐』という小説があります。もう二〇年以上経ちますが、私か社会人になったとき、新人研修で同書の感想文を書くという課題が出されました。この小説は、昭和初期の世界大恐慌の中で、金解禁(金を自由に輸出する金輸出解禁のことで、金本位制への復帰のための措置)を断行した当時の首相・浜口雄幸と大蔵大臣・井上準之助の物語です。テレビなどでも取り上げられ、亡くなった小渕恵三元首相も好んでいたように、当時もいまも多くの人が好意的な印象をもっているでしょう。

2014年8月18日月曜日

日本の資金還流措置

七〇年代中葉にアメリカのドルたれ流しとオイルーダラーで、ユーロドル市場でドルがだぶついたが、先進国不況で借手が少なかった時期に先進国金融機関は中所得途上国への貸付けに力をいれた。途上国公的債務の三分の一石民間部門からのもので、八〇年代はじめの新規借入金利は一一-一二%(平均金利八-九%)ときわめて高い。他方でアメリカが高金利時代に入り、こうして借り入れた途上国資金がアメリカに還流し、途上国が新規借入れをよぎなくされた面もある。じっさい、多くの途上国で資本逃避(capital flight)は莫大な額に上り、モルガン信託銀行が行なった調査では、ラテンアメリカー○国で一九八三i八五年の期間に、新規借金額の七割が海外逃避した、という。

第三に先進国の軍拡競争が第三世界に波及してきて、兵器輸入額がめざましく上昇した。途上国の債務残高は近年五〇〇億ドル程度ずつふえているが、兵器の輸入額は八〇年に二〇〇億ドル余に及んでいる。兵器は借款をつけて供与されることが多いし、また一度輸入されると、維持・部品補給・兵器システムのグレードアップなどにより、たえず輸入をふくらませる。兵器とともに不生産的な輸入として、近年食糧輸入が増加し、輸入の一〇-一五%を占めていることも、途上国の貿易収支が改善しない理由である。

以上は、中所得国の債務増大の理由だが、低所得国に債務問題がないということではなく、低所得国こそは世界インフレのあおりで、本当は資金が必要なのだが、先進国銀行には貸してもらえなかった、というのが真相である。とりわけ一九八三年から八六年にかけて、主要な一次産品価格は平均三〇%程度低落し、その後若干市況は回復したものの八九年に商品価格の総合指数はいまだ八〇年水準を回復していない。発展途上国の輸出収入はこの間大きく低落し、多くの国で国民所得の伸びを横ばいないし低下させた。

九〇年五月にニューヨークで開かれた経済開発のための国連特別総会で途上国は八〇年代を「失われた一〇年」として南の困難をうったえた。また、七〇年代から八〇年代にかけて、南の諸国内部で貧困問題が高まってきたことも注目される。世界銀行は、一九九〇年の『世界開発報告』を「貧困」問題の特集としているが、この報告によれば、世界の貧困人口二人当たり所得三七〇ドル以下)は八五年時に一一億二○○○万人、途上国の四人に一人と見積っている。同じ世界銀行は、一九六九年に貧困人口(当時は一人当たり所得七五ドル以下)を五億七八〇〇万人とみていたので、この二八年間に世界の貧困人口は倍増したことになる。もっとも「貧困」を一人当たり所得水準でみることがどれだけ妥当性をもつか、については議論の余地があるが、いずれにしてもこのような貧困人口の増大により、DAC(開発援助委員会)諸国も後述するように「裾野の広い経済成長」の考え方を経済協力の目標としておし出すことになった。

一九八〇年代前半にアメリカ、ECの大幅の貿易赤字、OPECや途上国の原燃料価格低下に伴う困難のなかで、日本、西ドイツ、そして台湾・韓国等のNIESは大幅の貿易黒字を計上した。日本の貿易黒字は八五年に四六一億ドル、八八年に九五〇億ドルに達した。ここから海外諸国は日本の黒字稼ぎに批判を集中し、日本たたきとよばれる現象も生じた。既に日本政府は八六年末、世界銀行に「日本特別基金」(二〇億ドル)を創設するなど、約一〇〇億ドルの途上国にたいする資金還流策を示していたが、その後さらに二〇〇億ドルを追加し、八七-八九年の三年間に総額三〇〇億ドルを途上国に還流させた。

2014年7月22日火曜日

先取りをしていく政策を実現する

三五年、四五年の二回、私はコンピューター政策に携わった。コンピューター産業育成のための「日本電子計算機株式会社」の設立や、初代の電子政策課長としてソフトウエアを開発するための「情報処理振興協会」の設立などを担当した。今でこそ華やかなコンピューターも、当時は電子計算機といわれた時代で、その電子計算機に国が支援をすることには多くの問題があった。しかし、コンピューターはこれからの情報化社会になくてはならないものであるということをよく理解してもらい、国の助成措置が実現した。

工業用水道、産業立地、コンピューターといった新しい分野の仕事をすすめるなかで、いくつかのことを体得した。それは新しい事業を始めるときに守るべき大切なことであった。第一番目は、いくら重要だと唱えても相手には理解されないということ。説明の方法が大事だということだ。大蔵省の予算当局者、国会議員、また一般の人によく理解してもらう。この説明の仕方を工夫せよということであった。私は県庁の職員には「三つのPが大事だ」といつも言っている。物事を成功させるためには、rlanning=計画とPerformance =実行が大切であるが、その中間のPresentation=提示・説明の仕方が大事なのだ。

第二番目は、その重要性をわかってもらうためには、繰り返し繰り返し説明していくということである。私は「行政はPRである」とよく言う。PRと宣伝とは違う。PRとはPublicRelations。つまり一般住民との関係をよくするための広報なのである。だから、行政の考えることをわかりやすく、繰り返して説明し、理解を得る。この姿勢、が必要である。

三番目は、先取りをしていく政策を実現していくためには、自分自身が積極的に現場に出かけ、現地の人の話を聞きながらやっていくということである。公害課長のときには、実際に公害防止の担当技術の人だちから話を聞いた。またコンピューターの勉強をするときには、企業で真剣にやっている研究者たちに直接話をうかがって、どこを国が援助すればよいかを考えた。自分の頭で考え、現場に乗り込んで現場の声を聞くことが大切なのだ。

2014年7月8日火曜日

スーパーキャッシュ共同実験

電子カードが現金をなんら裏付けに持っていなければ、貨幣としての機能を果たせるはずもない。それは単なる電子信号ないし電子情報といったものに過ぎなくなってしまう。言い換えれば、電子マネーというのは既存の貨幣(頂金)すなわち価値を前提として、それを電子情報としてICカードまたはインターネット上に取り込むことによって初めて生み出されるものである。

エレクトロニクス技術やコンピュータネットワークがいかに進歩発達したといっても、その上で移転される「価値」そのものを、魔法のように無から有を生み出すが如く、創造することは所詮できない相談である。しかし、銀行を介在させずに取引の当事者問で直接資金を移動できるうえに、ネットワークを通じて海外との取引・決済も可能だから、マネーサプライや課税など国の金融・財政政策等に与える影響は大きく、国を単位とした通貨体制を揺るがすという問題が生じている。現実に電子マネーに代表される決済の電子化というのは、どのような形で進められているのであろうか。

東京・渋谷で一九九八年七月から実験が開始されたのが「渋谷スマートカード」だ。ここではビザーインターナショナルの「ビザキャッシュ」という電子マネーカードで買い物、かできる。カードに搭載されたICチップに、あらかじめお金の価値データを入力しておき、買物の際に金額分をそこから引き落とすことによって支払いをすませる仕組みで、いわば汎用型のプリペイドカードである。

これには「使い切り型」と「再補充型」の二つのタイプがある。使い切り型はあらかじめ決められた金額の貨幣価値が充填されたもので、現状のプリペイドカードと同様に、使い切ってしまうとそのカードの価値はなくなる。再補充型の方は、あらかじめ貨幣価値は入っていないため、専用の端末やATMで充填する。充填しか価値を使い切ってしまっても、繰り返し補充して使うことができる。

その名も「スーパーキャッシュ共同実験」と銘打って一九九九年四月から東京・新宿で始まったのがNTTの開発した電子マネーの実験だ。専用端末を使って銀行の口座からカード内に預金を移し、買物をした分だけ店の端末に支払う。新宿駅周辺の参加店舗約一千店には専用の端末が置かれている。パソコンに端末を接続してインターネットを通じてやりとりすることもできる。この実験には都銀、地銀、第二地銀、長信銀、信託合わせて二十四行が参加しており、電子マネーは各銀行がそれぞれ発行する形になっているが、各行が発行した電子マネーを互いに流通使用することもできる仕組みである。

2014年6月23日月曜日

一般製造業の場合の定量分析

格付け機関は、被格付け会社から提供される情報の他に、マスコミ、調査機関、金融機関などさまざまな分野から起債者に関連する情報を常に入手している。外部から入手する情報に関しては信憑性が問題になるので、起債者とコンタクトをとったうえで、その外部情報を格付けに反映させるかどうかを決めるのが普通である。特に、債券発行後、何年かして収支の実績が当初の収支見込みと乖離してきた場合には、起債者は悪い情報を出したがらないので取引金融機関などの外部情報が重要になることがある。なお、被格付け会社は格付けを取得するときの契約によって、債券発行後も格付け機関に対して、決算書類、資金繰りの内訳などあらかじめ定められた情報を定期的に報告する義務がある。

起債者の依頼なしに行う格付けに関しては、それぞれの分野(業種、地域など)において蓄積された専門知識を有するアナリストがヽ有価証券報告書など公表された外部情報をもとに分析を行う。被格付け会社からの内部情報は入手できないが、もともと米国の格付け機関は内部情報よりも公表された情報の方に重きを置いている。というのは、公表情報は法律や規則などによって確定情報として取り扱われるが、末公表情報は起債者の都合によって変更される可能性もあるので、格付け機関としても投資家に対して責任を負えない場合があるためである。

格付け機関は起債者に関する情報のすべてを持っていると考えるのは間違いである。被格付け会社は、格付けの取得に関して有利になると思われる情報の提供にはインセンティブが働くが、不利になると思われる事柄に関しては格付け機関から求められない限り進んで提供することはないであろう。したがって、情報については監督当局、税務当局、公認会計士、大株主などの方が多くの情報を持っている場合が多い。

また、外国政府債に関するソブリン情報についても、外務省や援助関係の政府機関の方が質・量ともに格付け機関よりも勝っていると考えられる。したがって、格付け機関の場合は、仮に情報が少なくても、その情報を使って債務の償還能力を判定するという専門能力を保有していることが重要になる。公開情報だけでも格付けができるのは、情報を分析する専門能力を保有しているためであって、情報の量の問題ではない。

起債予定者から格付け機関に作成資料が提出されると、起債予定者の本社で一日か二日をかけて経営者とのミーティングが行われる。ミーティングの内容は、提出資料についての議論と償還スケジュール、経営方針などについてである。その後、担当者が分析を行うが、最終的な結論を出すまでにミーティング後一週間から五週間を要する。分析の中心は定量的な収支見通しの判断と、見通しがどの程度の確率で実現するかの定性的判断である。

2014年6月9日月曜日

リポ蛋白とは

血液中の脂肪には、コレステロール、中性脂肪、リン脂質、脂肪酸(遊離脂肪酸)の四種類が存在します。水と油は溶け合わないたとえとして使われますが、実際そうなのです。血清脂質は油なので、そのままでは水分である血液中に溶け込むことが出来ません。

しかし血清中の蛋白成分と結合すれば、油としての本態を保ちながら、血液中に油滴として析出しないで、溶けたのと同じ状態になることができます。従って、コレステロールや中性脂肪などの油分は、脂質と蛋白質の複合体の姿をしています。言い換えると、体内での血清脂質は、いちど吸収されたあと肝臓に貯蔵され、血中へ出てくる時にはリポ蛋白のかたちに再構成されます。そして目的の組織や細胞に達したあと、取り込まれた細胞内で再び本来のコレステロールや中性脂肪にもどり、細胞膜の原料やエネルギー源として使用されるわけです。

リポ蛋白は、エステル型コレステロールや中性脂肪を中心成分として、その周りを蛋白質、リン脂質、遊離コレステロールなどの層がおおった球形の構造になっています。皮にあたる表層部分の蛋白は、水溶性を促進させる働きを持ち、アポ蛋白と呼ばれています。リポ蛋白は見た目の構造は同じであっても、一つ一つの粒子に含まれる脂質の量とアポ蛋白の量が少しずつ異なっています。

具体的に言うと、脂質の含有量が多いものほど密度は軽く(低比重に)なり、蛋白含有量が多いものほど密度が高く(高比重に)なります。リポ蛋白は、この密度差(比重差)という特性によって、カイロミクロン、超低比重りポ蛋白(VLDL)、中間比重りポ蛋白(IDL)、低比重りポ蛋白(LDL)、高比重りポ蛋白(HDL)の五つのタイプに分けられています。個々のリポ蛋白は含まれている蛋白の量や種類が異なり、それぞれが果たす役割も違います。

カイロミクロンはリポ蛋白の中でもっとも比重が低く、一般の油同様に水より軽いのが特徴です。また粒子のサイズが大きく、その中身の九五%は中性脂肪で占められており、いわば中性脂肪の運び屋ともいうべき成分です。VLDLの基本的な役目も、力イロミクロンと同様に中性脂肪を組織に運ぶことです。VLDL中の中性脂肪含有率は七五%程度です。IDLの中身は中性脂肪が半分、コレステロールが半分という構成ですが、健常人ではごく微量しか存在しません。LDLの役目は組織にコレステロールを運ぶことです。その成分は、ほとんどがコレステロールーエステルです。このLDLの量が増えると、血管にコレステロールを蓄積させてしまう性質があるところから、「悪玉」コレステロールとして、動脈硬化の元凶とみなされています。

2014年5月23日金曜日

諸民族のるつぼ

共和制をとるこの国の元首は大統領である。独立から現在まで、この国の大統領には四人の人物が就任した。初代のスカルノ(一九四五~六八年)、次いでスハルト(一九六八~九八年)、ハビビ(一九九八~九九年)、そして現大統領のアブドゥルラフマンーワヒドである。(日本や欧米のメディアでは、ワヒド大統領という呼び方が一般的だが、これは本当は正しくない。「ワヒド」は本人の固有名ではなく、父親の名だからである。「アブドゥルラフマンーワヒド」とは名と姓を並べたものではなく、「ワヒドの子のアブドゥルラフマン」の意味である。

「ワヒド大統領」でなく「アブドゥルラフマン大統領」が正しい呼び方なのだが、これは長いうえに日本人に壮覚えにくい。そこで本書では、インドネシアのメディアの慣例にならい、「グスードゥル」つまり「ドゥル若君」という意味の愛称で呼ぶことにしたい。)四人の大統領たちの間の権力の継承は、いずれも形式的には、国家の独立の際に定められた憲法(一九四五年憲法)の条文にしたがって合法的に行われた。しかし、実際の権力移行の過程は必ずしも平穏なものではなく、多数の国民の流血を伴った。

この点から見ると、独立後のこの国の足どりには二つの大きな転換期があったと言える。第一の転換期は、初代大統領スカルノから第二代スハルトへと権力が移行した一九六五年から六八年までの三年間であった。第二のそれは、第二代スハルトから第三代ハビビを経て、現大統領グスードゥルヘと権力移行が生じた一九九七年から九九年までの二年あまりである。

偶然のたまものではあるが、私は第二の転換期の二年あまりのうち合計一年五ヵ月を、用務によりジャカルタで過ごした。社会科学の視点からのインドネシア研究を専門とする私にとり、これはおそらく生涯に二度とめぐりあえないであろう現地観察の好機であった。そこでまず、この期間の私の個人的体験の記録のなかから、強く印象に残ったシーンのいくつかを追想することから、物語を始めることにしよう。

一九九七年四月末、私は国際協力事業団(JICA)の短期派遣専門家(任期四ヵ月)としてジャカルタに赴任した。数年前に同じJICAの援助で建物が作られたインドネシア大学附属日本研究センターに、私の日本での勤務先の東京大学が、さしあたり三年間「研究協力」という形でてこ入れを行うことになり、そのプロジェクトの立ち上げのため、インドネシア研究者の私か動員されて派遣されたのである。

2014年5月2日金曜日

ユーロ市場の膨張

九〇年代に入ると同時に、こうした三要因がそろって不成立となってきた。BIS規制の導入や、S&L(貯蓄貸付組合)問題に由来する米国金融システムの変調は、国際的流動性創出メカニズムの機能不全化をもたらした。また、G-7体制の限界が鮮明化してくると、米国は国際的政策協調を模索しえなくなってきた。

この状況下で、八九年末からの東欧革命やソ連における自由化・民主化の動きは、東西ドイツの統一にまで進んだ。こうした国際政治情勢の急変は国際資本移動に絶大な影響を及ぼした。このように、九〇年代に入るやいなや、バブルをもたらした条件がことごとく逆方向に作用しだしたのである。そして、ついにバブルにまで膨張した資産インフレが破綻せざるをえない条件がそろってきたのである。

経常収支に不均衡が発生すると、その調節のために国際資本移動、が必要となる。経常収支不均衡は国内における資金の過不足状況を示しており、それを海外との資本取引で調整するわけである。通常は、経常収支が黒字であれば国内では資金余剰が発生している。そして、この余剰資金は海外に流出することになり、資本収支は赤字となる。逆に経常収支の赤字は国内での資金不足を意味する。そして、この不足分は海外からの資本流入で賄われる。

経常収支の黒字と赤字、が、特定の国や地域をとった場合、景気サイクルの変化に合わせて交代的に発生するとすれば、あるサイクルを通じた経常収支の累積は均衡に近いと想定される。この状況下では、各国間の経常収支不均衡を埋め合わせるための国際資本移動は限定的なものとなる。だが現実的には、経常収支不均衡の発生は赤字か黒字かどちらかの一方向に偏在し、継続的に発生してきた。

事実、七〇年代以降は、経常収支赤字国は赤字を、また経常収支黒字国は黒字を持続化することが常態化していた。このとき、各国間の経常収支不均衡をファイナンスする上で、国際金融市場が急速な発展をみることになる。この点でユーロの銀行市場(以下ユーロ市場)が経常収支不均衡を調整する場として急拡大を見せているのは当然である。

2014年4月17日木曜日

第一次バーゼル協定

バーゼル委員会が七四年に設置され、国際金融危機のリスクにどう取り組むかを協議することになったのは、ペルシュグッド銀行など数行が相次いで経営破綻に陥り、ユーロ市場が一時的にせよ窮境に追いやられたためであった。そして七五年に同委員会は「第一次バーゼル協定」を取りまとめた。

この協定では、ユーロ市場で活動しているいかなる銀行も、当局の何らかの監督下に置かれることが合意された。ここでは、実際の監督に当たってば、ユーロ市場で活動している銀行が母国銀行の支店形態であれば母国の金融当局、またユーロ銀行が現地法人であれば、そのユーロ銀行の受入れ国におげる金融当局が中心になるものとされた。ただし、ユーロ銀行がいかなる形態であるとしても、主たる監督責任は母国の金融当局であることでも合意をみていた。

「第一次バーゼル協定」に不備があることはすぐに明らかになった。まず第一の問題点は、ユーロ銀行の受入れ国がそのユーロ銀行を監督する上で種々の情報を入手しえたとしても、金融制度や慣行、及び銀行行動が各国において相当に異なるため、現実には役に立ち難いことである。第二の問題点は、スイスなどが典型的だが、金融機関に対し守秘義務を法律で定めている国が存在することである。

このため、こうした国を母国とするユーロ銀行の受入れ国にとっては、実効的な監督は本来的に無理となる。ユーロ市場では巨大な規模に膨張したインターパンク取引を通じて、各国の多数の銀行が緊密な相互依存関係にあり、ユーロ銀行の監督上で重大な欠陥が一部にでも存在すれば、ユーロ市場全体の問題であるシステミックーリスクヘの対応という点では、ほとんど有効的ではなくなるのである。

バーゼル委員会は八一年に入って、こうした問題点への対応を含めて、第一次協定の改善策を打ち出した。主な改善点は、ユーロ銀行の監督において母国責任主義を強化したことであった。これはユーロ銀行といえども、結局は受入れ国よりも母国の金融当局のほうがより有効的で適切な監督、及び情報入千加可能だと想定されたためであった。だが、この想定が八二年に入ってあっけなく潰えてしまった。