2014年5月23日金曜日

諸民族のるつぼ

共和制をとるこの国の元首は大統領である。独立から現在まで、この国の大統領には四人の人物が就任した。初代のスカルノ(一九四五~六八年)、次いでスハルト(一九六八~九八年)、ハビビ(一九九八~九九年)、そして現大統領のアブドゥルラフマンーワヒドである。(日本や欧米のメディアでは、ワヒド大統領という呼び方が一般的だが、これは本当は正しくない。「ワヒド」は本人の固有名ではなく、父親の名だからである。「アブドゥルラフマンーワヒド」とは名と姓を並べたものではなく、「ワヒドの子のアブドゥルラフマン」の意味である。

「ワヒド大統領」でなく「アブドゥルラフマン大統領」が正しい呼び方なのだが、これは長いうえに日本人に壮覚えにくい。そこで本書では、インドネシアのメディアの慣例にならい、「グスードゥル」つまり「ドゥル若君」という意味の愛称で呼ぶことにしたい。)四人の大統領たちの間の権力の継承は、いずれも形式的には、国家の独立の際に定められた憲法(一九四五年憲法)の条文にしたがって合法的に行われた。しかし、実際の権力移行の過程は必ずしも平穏なものではなく、多数の国民の流血を伴った。

この点から見ると、独立後のこの国の足どりには二つの大きな転換期があったと言える。第一の転換期は、初代大統領スカルノから第二代スハルトへと権力が移行した一九六五年から六八年までの三年間であった。第二のそれは、第二代スハルトから第三代ハビビを経て、現大統領グスードゥルヘと権力移行が生じた一九九七年から九九年までの二年あまりである。

偶然のたまものではあるが、私は第二の転換期の二年あまりのうち合計一年五ヵ月を、用務によりジャカルタで過ごした。社会科学の視点からのインドネシア研究を専門とする私にとり、これはおそらく生涯に二度とめぐりあえないであろう現地観察の好機であった。そこでまず、この期間の私の個人的体験の記録のなかから、強く印象に残ったシーンのいくつかを追想することから、物語を始めることにしよう。

一九九七年四月末、私は国際協力事業団(JICA)の短期派遣専門家(任期四ヵ月)としてジャカルタに赴任した。数年前に同じJICAの援助で建物が作られたインドネシア大学附属日本研究センターに、私の日本での勤務先の東京大学が、さしあたり三年間「研究協力」という形でてこ入れを行うことになり、そのプロジェクトの立ち上げのため、インドネシア研究者の私か動員されて派遣されたのである。