2016年4月13日水曜日

世界最長の「国王在位六〇年」

プーミポン国王は一九八八年に、それまでタイで最長を誇っていたラーマ五世王(チュラ・ロンコン大王)の在位四二年間の記録を更新する。そして、二〇〇六年六月には、世界最長の「国王在位六〇年」(七八歳のとき)という栄誉を達成した。この記念式典には、世界二六カ国の王族がバンコクに参集し、チットラダー宮殿で盛大な祝賀会が開催された。二〇〇六年は、タイ社会全体が国王の在位六〇年を慶賀する雰囲気で盛り上がっていた。この年にタイを訪問したわたしは、東北部の小中学校でも、東部の工業団地でも、バンコクの中国人街でも、「黄色のシャツ」を着たひとびとで溢れかえっている景観に、強烈な印象を受けた。

それと同時に、強い興味を抱いたのは、二〇〇六年からマスメディアが、国王その人ではなく、また王位継承者であるワチラロンコーン皇太子だけではなく、王室メンバーの集合写真を、盛んに紹介していた点である。シリキット王妃、アメリカから帰国し皇族に復帰したウボンラット第一王女、シリントーン第二王女、チュラポーン第三王女、皇太子夫人がそれであった。同時に、国民の間では、二〇〇五年五月に皇太子のもとに初めて生まれた男児(国王の孫)の話題で持ちきりであった。テレビや新聞は、国王・王妃や皇太子だけでなく、皇孫や三人の王女の日々の活動も詳しく報道した。フォーカスは国王から王室一家に移りつつあるようにみえる。タイ国を支える三つの柱は「民族・宗教・国王」である。

日本の読者にとっては、「民族・宗教・王制」と並べた方が通じやすいかもしれない。しかし、国王を王制に読み替えようとするのは、あくまで日本人の発想である。タイ社会にとって、国王は仏教と同格の社会的制度・組織の根幹に位置するからである。同時に、国王は日々の行動と言説で、自らが統治者であり元首であることを示すことが求められる。王権神授説が主張したように、「国王の神性はオフィス(王宮)ではなく人格(パーソナリティ)に存在する」からだ。誕生日の前日に二〇〇〇名以上の各界代表を前にして行われる講話や、テレビを通じて流される新年のあいさつの内容が、特別の重みを持つのはそのためである。

2016年3月12日土曜日

閑古鳥の鳴く港

ムダ遣いやバラマキ予算は、なにも建設省や農水省の御家芸ではない。港湾、空港など公共事業の一割を実施する運輸省も、第三の実施官庁として例外ではない。同省所管の港湾法による港が、一九六一年以来、全国各地に千百二も完成している(これには農水省が管轄する三千に及ぶ漁港はふくまれていない)。

相次ぐ計画の実行の結果どうなったか。一九九六年九月、総務庁行政監察局は「港湾に関する行政監査結果報告書」を発表し、ムダな港湾づくりの例を指摘した。同報告は全国で主要な港のうち三十三ヵ所を調査しただけだが、報告書には驚くべき事例が満ちていた。同局の慣例で、固有名詞は避けているが、記述内容から具体的に推定できる港湾もある。

企業誘致に失敗した青森県のむつ小川原開発では、はじめ予定した製造業関連の工場の立地がほとんどなトのに、むつ小川原港(と推定される港)には公共の岸壁バースが十二もできており、取扱量の平均は二〇〇〇年の目標の一〇パーセントに満たず、現状では目標の達成は無理だとしている。

別の港では、すでにA地区に八バースができていたのに、近年になって整備が進められたB地区に二十四ものバースが完成した。しかし、二〇〇〇年の目標四百二十五万四千トンに対して実績は九十一万トンにすぎない。しかも、同地区には二〇〇〇年までに、五パースの建設が計画されている。

さらに別の港では、一九九三年四月に使用が開始された鉄鋼貨物用の百メートルの岸壁に接岸するのは、年間十隻前後だという。ほかにも、年間二三隻の接岸しかない、パースがある港があることがわかる。これも氷山の一角だ。各地に港をつくったのはいいが、その後、産業構造の変化や空洞化で期待の工場が後背地に来なかったり、港が小さすぎ、大型化するコンテナ船が入港できないなど、低利用の港が少なくない。いったん計画をたてると、情勢が変わってもそれに固執するので、ムダがますます増える構造になっている。

2016年2月12日金曜日

尽きたエネルギー

実際にその後、細川政権の政策がどの程度実現され、何か変わったのかについての分析は第二部以降に譲るとして、政権交替の実現が、何かが変わるという期待を人々に抱かせたことはたしかだった。細川内閣の支持率が発足直後の九月はじめ、七一%に達し、その理由に、「なんとなく政治に変化が期待できそうだから」をあげた人が三七%にものばったことも、そのことを示していた(朝日新聞、九三年九月八日)。しかし、その曖昧さは、また、何かが変わらないと人々が判断したとき、内閣は行き詰まることを示していた。

細川内閣の政策面での実績は、小選挙区比例代表並立制による選挙制度の改革が、日本政治に与えた影響の大きさという意味では最大であろう。コメ市場の部分開放も、その決定に細川首相自身の指導力があったか否かは別にして、歴史に残る。しかし、在任期間八ヶ月はあまりに短かった。

首相就任時に政治改革と並んであげた行政改革、規制緩和、税制改革の多くは緒についただけか、積み残しとなって終わった。特に、九四年二月三日に突然明らかにされた、大型恒久減税の代わりに消費税率を七%にあげるという国民福祉税構想は、与党内の事前調整が十分得られず、わずか五日後に撤回された。

九三年八月二三日に行われた所信表明演説を読み返してみると、細川自身、唯一最大の課題として、政治改革関連法案の成立をあげていたことがわかる。演説冒頭で、冷戦の終焉によって、日本の政治の二極化の時代も終わりをつげ、二一世紀に向けた新しい時代が幕を開くことになったと強調する一方、「今回の選挙で国民の皆様方から与えられました政治改革実現のための千載一遇のチャンスを逃すことなく、『本年中に政治改革を断行する』ことを私の内閣の最初の、そして最優先課題とさせていただきます」と述べていた。

また、政治腐敗の温床である、政・官・業の癒着体質や族議員政治の打破についても触れている。その意味では、九四年一月二八日に難産の末、小選挙区比例代表並立制の導入が決まった時点で、細川内閣のエネルギーは燃え尽きていたとみることもできる。

2016年1月15日金曜日

アニミズムは「生き神」や「生き仏」を生み出しやすい

アニミズムは「生き神」や「生き仏」を生み出しやすいのである。というより、誰もが神や仏になれるのがアニミズムの特質なのである。戦死した軍人は皆「軍神」となって、なかには神社まで建ててもらった将軍も少なくないし、一般の人々も死後は「仏」となって奉られるのである。

まさにこの点で、日本の神や仏は西欧の唯一絶対の神とは著しく異なっている。しかし、差異を強調しすぎるのも誤りで、両者は同時に「奇跡を託される存在」という共通の属性も持っているのである。

元寇の際に吹いた大嵐を「神風」と呼んだのはその証拠であるし、今日も難病や困難な問題で苦しんでいる人たちが、神となり仏となった「ご先祖様」に手を合わせて奇跡を願う光景は日常的に見られるものである。

「奇跡を託される存在」という点では八百万の神々も唯一絶対の神も同じであって、これこそが人間の宗教心の原点なのである。

「生き神」や「生き仏」を生みやすいアニミズム文明は原理的に聖と俗の境界があいまいな社会構造を持つのに対し、唯一絶対の神の文明ではキリスト教のように聖と俗の境界がはっきりと分かれているか、逆にイスラム教のように聖と俗が一致している社会構造を持つ、という対比がある。

唯一絶対の神の文明は原理的にはイスラム教世界のように聖と俗の一致する社会構造を有するはずであるが、キリスト教はイエスが「カエサルのものはカエサルのもとへ、神のものは神のもとへ」と聖と俗を截然と分けたことが契機となって、聖と俗の二項対立の社会構造へと進化してきた。

それゆえ、西欧文明は聖書にあるイエスのさまざまな奇跡に見るように、聖の世界はオカルト神秘主義に満ちているにもかかわらず、俗の世界ではオカルト神秘主義にあまり惑わされずに、透徹したリアリズムやプラグマティズムの視点から思考する精神構造へと進化できたのではないかと私は考えている。

この点日本は逆で、聖と俗の境界があいまいであるがゆえに、その境界の中から簡単に「天皇現人神」が生まれ、また本来聖に属するはずの事柄が俗へと下りてきたり、逆に俗に属するはずの事柄が「聖化」されるという「相互移入」を起こしやすいのである。

大東亜戦争末期の「神州不滅」のかけ声が前者の典型であり、「不磨の大典」となった「大日本帝国憲法」は後者の典型である。