その頃、アーバンデザインーチームは、この山下公園前の海岸通り地区で行なわれる、さまざまの開発行為や建築行為について、どのような方針でのぞむかの骨子をまとめた。考え方は現実性もあり、明快なものでなければならない。そこで、港の眺望がすばらしいこの地区を、特定個人の独占を避けて、できるだけ不特定の者でも出入りできる公共的な性格をもったものにすること。個人に占有されるマンションはやめる。海岸通りの歩道も狭いので、これに面する建築物は、前面敷地から三メートルを後退させ、歩道と同一仕上げにして、歩道幅員を確保すること。
歩行者と車の動線を極力分離し、山下公園側の歩道は車の出入りによって分断されないように、駐車場や車の乗りつけは、裏側や側面で行なう。歩行者道に添って、できるだけ広場を確保させ、この広場を、他の建物の広場とも互いに呼応させる。このような原則を立てた。指導内容は、ゾーンごとに異なるが、表のような項目である。さきほど述べてきたような、この地区についてのさまざまな手段は、原則をたてる以前から行なってきたが、ここへきて、もうすこし具体的な方針を明確にうちだした。
神奈川県が、この地区に三〇〇〇人近い大ホールを含む県民ホールを建設したいという申入れがあったからである。たしかにここは整備さえすれば横浜らしさ、ミナトらしさからみて第一等地であった。それは、さきほどの市の所有地と同じブロックで、その大部分は県有地である。そこで市の土地も買収し、一ブロックまとめて建設をしたいという申入れであった。市としても、独自の単独利用案を考えてはいたが、この山下公園地区の整備のために、県に協力することにした。
県知事から市長への申入れがあったさい、「土地売却には協力するが、この地区を全体として横浜らしい個性ある地域として整備したいので、市のアーバンデザインなどの指導方針に従ってほしい」という申入れを行なった。そこでさきほどのような原則を、県側に提示した。同じ頃、県民ホールの隣りのブロご所が中心になって、横浜産業貿易センタービルを建設する計画が進められていた。
このビルにも同じ申入れを行ない、さらに、ほぼ同時に建つこの二つのビルの、それぞれ向きあった角地に、広場をとることを提案した。土一升金一升の高価な土地で、前面を三メートルも歩道敷として削られたうえに、なお前面に合わせて三○○○平方メートルの広い広場をとることなどは、できないことだとの抵抗もあった。これも環境設計制度という、まえから手を打っていた施策がきいたことと、ねばり強い説得とで解決していった。
2015年10月13日火曜日
日本企業への三下り半
「火だるまになってもやりとげる」日本版金融ビッグバンの構想が、橋本首相(当時)のかけ声よろしく打ち出された頃は、英国の「金融ビッグバン・ウィンブルドン現象」の連想から、日本の金融機関も相次いで外資の手中に陥るのかという議論が横行したものである。
その後は足下の金融危機と不況の深刻化で、メディアも外資の攻勢に気をもむ余裕さえ失っていた感がある。そして、気がつけば旧山一燈券の三十三の店舗と約二千名の従業員をメリルリンチが、消費者金融のレイク、東邦生命、日本リースをGEキャピタルが手中に収めたように、早くも破綻や経営危機から外資の軍門に降るケースが現実のものとなってきた。
東京三菱の役員をしている友人が、東大からの志願者が激減したので私立大の内定を増やしたと嘆いていた。すこしは官僚体質が減るのでむしろ喜ばしいのでは、と内心思ったが、友人は本当に心配そうだった。東大生の外資系希望者が九七年には四%未満だったのに、九八年は二六%を超える伸びを示し、一橋その他でも似たような状況だと新聞も報じていた(朝日新聞一九九八年六月六日)。ある東大生は「定年までずっと守ってくれるという日本企業への信頼感が崩れた。本格的な競争社会で生き残る自信もある」という。
時代は急速に変わっている。外資系に入社しようとする若者の意気込みが、寄らば大樹の陰を望む大方の有名大学の学生とはまるで違うという話を、一橋大学の中谷巌教授から聞いたことがある。ある外資系金融機関に就職することになったゼミ生は、内定するや、ゼミでの報告を英語でやらせてほしいと希望し、見る見るうちにプレゼンテーション技術も英語力も向上したし、英語のファイナンス理論の教科書を熱心に読むようになったという。
それは日本の一流会社に就職した他の学生が、一安心して海外旅行などで遊び回るのと好対照であり、その理由を探ると、彼には初任給七〇〇万円と他の学生の倍以上の年俸が三年間保証されているが、その後は業績次第で一五〇〇万円に昇給するか、後方事務部門に配置されて賃下げとなるかが決まる、という事情が明らかになったそうだ。
その後は足下の金融危機と不況の深刻化で、メディアも外資の攻勢に気をもむ余裕さえ失っていた感がある。そして、気がつけば旧山一燈券の三十三の店舗と約二千名の従業員をメリルリンチが、消費者金融のレイク、東邦生命、日本リースをGEキャピタルが手中に収めたように、早くも破綻や経営危機から外資の軍門に降るケースが現実のものとなってきた。
東京三菱の役員をしている友人が、東大からの志願者が激減したので私立大の内定を増やしたと嘆いていた。すこしは官僚体質が減るのでむしろ喜ばしいのでは、と内心思ったが、友人は本当に心配そうだった。東大生の外資系希望者が九七年には四%未満だったのに、九八年は二六%を超える伸びを示し、一橋その他でも似たような状況だと新聞も報じていた(朝日新聞一九九八年六月六日)。ある東大生は「定年までずっと守ってくれるという日本企業への信頼感が崩れた。本格的な競争社会で生き残る自信もある」という。
時代は急速に変わっている。外資系に入社しようとする若者の意気込みが、寄らば大樹の陰を望む大方の有名大学の学生とはまるで違うという話を、一橋大学の中谷巌教授から聞いたことがある。ある外資系金融機関に就職することになったゼミ生は、内定するや、ゼミでの報告を英語でやらせてほしいと希望し、見る見るうちにプレゼンテーション技術も英語力も向上したし、英語のファイナンス理論の教科書を熱心に読むようになったという。
それは日本の一流会社に就職した他の学生が、一安心して海外旅行などで遊び回るのと好対照であり、その理由を探ると、彼には初任給七〇〇万円と他の学生の倍以上の年俸が三年間保証されているが、その後は業績次第で一五〇〇万円に昇給するか、後方事務部門に配置されて賃下げとなるかが決まる、という事情が明らかになったそうだ。
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