「オズの魔法使い」の最初の刊行から二〇年ほど前のことです。一八八〇年から九六年にかけて、アメリカでは物価が二三%も下がりました。当時、西部の農民の多くが、東部の銀行からの借金で開拓を行っていたため、農民は苦しみ、銀行などの産業資本は潤うことになりました。デフレではお金の価値が上がり、借金が膨らむことになるからです。当時はアメリカを含む多くの国々が、貨幣制度として金本位制を採用していました。金本位制とは、金を本位貨幣とし、通貨の単位価値と一定重量の金とが、金兌換(交換)・自由輸出入を通じて、等位関係で結びつけられている制度です。ざっくりいえば、一国のお金の価値が、その国がもつ金の価値で裏づけられている、ということです。
ちなみに現在は、一国の通貨の数量を、金の保有量などによって決めるのではなく、通貨当局(中央銀行)が通貨価値の安定、完全雇用の維持など、経済政策上の目標に従って管理する制度(通貨管理制度)がとられています。金の制約から自由になって、お金の量を決めることができるわけですね。話を戻すと、この強烈なデフレは、拡大するアメリカ経済に対して、金貨の供給が追いつかないことで発生したのでした。対策としては、金銀複本位制を採用して通貨の量を増やすしかありませんでした。金銀複本位制とは、通貨の裏付けとして、金だけでなく銀も用いる制度です。当然、金本位制に比べて通貨の発行量を増やすことができます。いずれにせよ、お金の量が金や銀の量で決まることに変わりありませんが。
実際、一八九六年のアメリカ大統領選挙では、これが大きな争点になりました。共和党のマッケンジー候補は金本位制を、民主党のブライアン候補は金銀複本位制を主張したのです。今日的な言葉でわかりやすくいいかえれば、共和党はデフレ政策を、民主党はリフレ政策(インフレにならない程度の物価上昇政策)を主張したというわけです。「オズの魔法使い」の登場人物に話を戻しましょう。まず「オズ=OZ」は金の単位であるオンスの略号です。主人公ドロシーは伝統的なアメリカ人の価値観を表しています。カカシは農民、ブリキの木こりは産業資本、ライオンは民主党のブライアン候補です。
最後にドロシーは、自分の家に帰る道を見つけるのですが、それは黄色い煉瓦道(金本位制)を単純にたどるものではありませんでした。自分の銀のスリッパ(金銀複本位制)の魔力でやっと帰ることができたのです。実際の大統領選挙では、共和党のマッケンジーが勝ち、金本位制が維持されました。それで、デフレから脱却できたのでしょうか?実は、一八九八年にアラスカで金鉱が発見され、さらに南アフリカからも金が持ち込まれるようになり、結果として十分な通貨量になりました。このため、一五年くらいでデフレ前の物価水準まで回復するような、マイルドなインフレになりました。単純に金本位制を維持したから、デフレが解消したというわけではなかったのです。
城山三郎氏の『男子の本懐』という小説があります。もう二〇年以上経ちますが、私か社会人になったとき、新人研修で同書の感想文を書くという課題が出されました。この小説は、昭和初期の世界大恐慌の中で、金解禁(金を自由に輸出する金輸出解禁のことで、金本位制への復帰のための措置)を断行した当時の首相・浜口雄幸と大蔵大臣・井上準之助の物語です。テレビなどでも取り上げられ、亡くなった小渕恵三元首相も好んでいたように、当時もいまも多くの人が好意的な印象をもっているでしょう。
2014年9月12日金曜日
2014年8月18日月曜日
日本の資金還流措置
七〇年代中葉にアメリカのドルたれ流しとオイルーダラーで、ユーロドル市場でドルがだぶついたが、先進国不況で借手が少なかった時期に先進国金融機関は中所得途上国への貸付けに力をいれた。途上国公的債務の三分の一石民間部門からのもので、八〇年代はじめの新規借入金利は一一-一二%(平均金利八-九%)ときわめて高い。他方でアメリカが高金利時代に入り、こうして借り入れた途上国資金がアメリカに還流し、途上国が新規借入れをよぎなくされた面もある。じっさい、多くの途上国で資本逃避(capital flight)は莫大な額に上り、モルガン信託銀行が行なった調査では、ラテンアメリカー○国で一九八三i八五年の期間に、新規借金額の七割が海外逃避した、という。
第三に先進国の軍拡競争が第三世界に波及してきて、兵器輸入額がめざましく上昇した。途上国の債務残高は近年五〇〇億ドル程度ずつふえているが、兵器の輸入額は八〇年に二〇〇億ドル余に及んでいる。兵器は借款をつけて供与されることが多いし、また一度輸入されると、維持・部品補給・兵器システムのグレードアップなどにより、たえず輸入をふくらませる。兵器とともに不生産的な輸入として、近年食糧輸入が増加し、輸入の一〇-一五%を占めていることも、途上国の貿易収支が改善しない理由である。
以上は、中所得国の債務増大の理由だが、低所得国に債務問題がないということではなく、低所得国こそは世界インフレのあおりで、本当は資金が必要なのだが、先進国銀行には貸してもらえなかった、というのが真相である。とりわけ一九八三年から八六年にかけて、主要な一次産品価格は平均三〇%程度低落し、その後若干市況は回復したものの八九年に商品価格の総合指数はいまだ八〇年水準を回復していない。発展途上国の輸出収入はこの間大きく低落し、多くの国で国民所得の伸びを横ばいないし低下させた。
九〇年五月にニューヨークで開かれた経済開発のための国連特別総会で途上国は八〇年代を「失われた一〇年」として南の困難をうったえた。また、七〇年代から八〇年代にかけて、南の諸国内部で貧困問題が高まってきたことも注目される。世界銀行は、一九九〇年の『世界開発報告』を「貧困」問題の特集としているが、この報告によれば、世界の貧困人口二人当たり所得三七〇ドル以下)は八五年時に一一億二○○○万人、途上国の四人に一人と見積っている。同じ世界銀行は、一九六九年に貧困人口(当時は一人当たり所得七五ドル以下)を五億七八〇〇万人とみていたので、この二八年間に世界の貧困人口は倍増したことになる。もっとも「貧困」を一人当たり所得水準でみることがどれだけ妥当性をもつか、については議論の余地があるが、いずれにしてもこのような貧困人口の増大により、DAC(開発援助委員会)諸国も後述するように「裾野の広い経済成長」の考え方を経済協力の目標としておし出すことになった。
一九八〇年代前半にアメリカ、ECの大幅の貿易赤字、OPECや途上国の原燃料価格低下に伴う困難のなかで、日本、西ドイツ、そして台湾・韓国等のNIESは大幅の貿易黒字を計上した。日本の貿易黒字は八五年に四六一億ドル、八八年に九五〇億ドルに達した。ここから海外諸国は日本の黒字稼ぎに批判を集中し、日本たたきとよばれる現象も生じた。既に日本政府は八六年末、世界銀行に「日本特別基金」(二〇億ドル)を創設するなど、約一〇〇億ドルの途上国にたいする資金還流策を示していたが、その後さらに二〇〇億ドルを追加し、八七-八九年の三年間に総額三〇〇億ドルを途上国に還流させた。
第三に先進国の軍拡競争が第三世界に波及してきて、兵器輸入額がめざましく上昇した。途上国の債務残高は近年五〇〇億ドル程度ずつふえているが、兵器の輸入額は八〇年に二〇〇億ドル余に及んでいる。兵器は借款をつけて供与されることが多いし、また一度輸入されると、維持・部品補給・兵器システムのグレードアップなどにより、たえず輸入をふくらませる。兵器とともに不生産的な輸入として、近年食糧輸入が増加し、輸入の一〇-一五%を占めていることも、途上国の貿易収支が改善しない理由である。
以上は、中所得国の債務増大の理由だが、低所得国に債務問題がないということではなく、低所得国こそは世界インフレのあおりで、本当は資金が必要なのだが、先進国銀行には貸してもらえなかった、というのが真相である。とりわけ一九八三年から八六年にかけて、主要な一次産品価格は平均三〇%程度低落し、その後若干市況は回復したものの八九年に商品価格の総合指数はいまだ八〇年水準を回復していない。発展途上国の輸出収入はこの間大きく低落し、多くの国で国民所得の伸びを横ばいないし低下させた。
九〇年五月にニューヨークで開かれた経済開発のための国連特別総会で途上国は八〇年代を「失われた一〇年」として南の困難をうったえた。また、七〇年代から八〇年代にかけて、南の諸国内部で貧困問題が高まってきたことも注目される。世界銀行は、一九九〇年の『世界開発報告』を「貧困」問題の特集としているが、この報告によれば、世界の貧困人口二人当たり所得三七〇ドル以下)は八五年時に一一億二○○○万人、途上国の四人に一人と見積っている。同じ世界銀行は、一九六九年に貧困人口(当時は一人当たり所得七五ドル以下)を五億七八〇〇万人とみていたので、この二八年間に世界の貧困人口は倍増したことになる。もっとも「貧困」を一人当たり所得水準でみることがどれだけ妥当性をもつか、については議論の余地があるが、いずれにしてもこのような貧困人口の増大により、DAC(開発援助委員会)諸国も後述するように「裾野の広い経済成長」の考え方を経済協力の目標としておし出すことになった。
一九八〇年代前半にアメリカ、ECの大幅の貿易赤字、OPECや途上国の原燃料価格低下に伴う困難のなかで、日本、西ドイツ、そして台湾・韓国等のNIESは大幅の貿易黒字を計上した。日本の貿易黒字は八五年に四六一億ドル、八八年に九五〇億ドルに達した。ここから海外諸国は日本の黒字稼ぎに批判を集中し、日本たたきとよばれる現象も生じた。既に日本政府は八六年末、世界銀行に「日本特別基金」(二〇億ドル)を創設するなど、約一〇〇億ドルの途上国にたいする資金還流策を示していたが、その後さらに二〇〇億ドルを追加し、八七-八九年の三年間に総額三〇〇億ドルを途上国に還流させた。
登録:
投稿 (Atom)