プーミポン国王は一九八八年に、それまでタイで最長を誇っていたラーマ五世王(チュラ・ロンコン大王)の在位四二年間の記録を更新する。そして、二〇〇六年六月には、世界最長の「国王在位六〇年」(七八歳のとき)という栄誉を達成した。この記念式典には、世界二六カ国の王族がバンコクに参集し、チットラダー宮殿で盛大な祝賀会が開催された。二〇〇六年は、タイ社会全体が国王の在位六〇年を慶賀する雰囲気で盛り上がっていた。この年にタイを訪問したわたしは、東北部の小中学校でも、東部の工業団地でも、バンコクの中国人街でも、「黄色のシャツ」を着たひとびとで溢れかえっている景観に、強烈な印象を受けた。
それと同時に、強い興味を抱いたのは、二〇〇六年からマスメディアが、国王その人ではなく、また王位継承者であるワチラロンコーン皇太子だけではなく、王室メンバーの集合写真を、盛んに紹介していた点である。シリキット王妃、アメリカから帰国し皇族に復帰したウボンラット第一王女、シリントーン第二王女、チュラポーン第三王女、皇太子夫人がそれであった。同時に、国民の間では、二〇〇五年五月に皇太子のもとに初めて生まれた男児(国王の孫)の話題で持ちきりであった。テレビや新聞は、国王・王妃や皇太子だけでなく、皇孫や三人の王女の日々の活動も詳しく報道した。フォーカスは国王から王室一家に移りつつあるようにみえる。タイ国を支える三つの柱は「民族・宗教・国王」である。
日本の読者にとっては、「民族・宗教・王制」と並べた方が通じやすいかもしれない。しかし、国王を王制に読み替えようとするのは、あくまで日本人の発想である。タイ社会にとって、国王は仏教と同格の社会的制度・組織の根幹に位置するからである。同時に、国王は日々の行動と言説で、自らが統治者であり元首であることを示すことが求められる。王権神授説が主張したように、「国王の神性はオフィス(王宮)ではなく人格(パーソナリティ)に存在する」からだ。誕生日の前日に二〇〇〇名以上の各界代表を前にして行われる講話や、テレビを通じて流される新年のあいさつの内容が、特別の重みを持つのはそのためである。
2016年4月13日水曜日
2016年3月12日土曜日
閑古鳥の鳴く港
ムダ遣いやバラマキ予算は、なにも建設省や農水省の御家芸ではない。港湾、空港など公共事業の一割を実施する運輸省も、第三の実施官庁として例外ではない。同省所管の港湾法による港が、一九六一年以来、全国各地に千百二も完成している(これには農水省が管轄する三千に及ぶ漁港はふくまれていない)。
相次ぐ計画の実行の結果どうなったか。一九九六年九月、総務庁行政監察局は「港湾に関する行政監査結果報告書」を発表し、ムダな港湾づくりの例を指摘した。同報告は全国で主要な港のうち三十三ヵ所を調査しただけだが、報告書には驚くべき事例が満ちていた。同局の慣例で、固有名詞は避けているが、記述内容から具体的に推定できる港湾もある。
企業誘致に失敗した青森県のむつ小川原開発では、はじめ予定した製造業関連の工場の立地がほとんどなトのに、むつ小川原港(と推定される港)には公共の岸壁バースが十二もできており、取扱量の平均は二〇〇〇年の目標の一〇パーセントに満たず、現状では目標の達成は無理だとしている。
別の港では、すでにA地区に八バースができていたのに、近年になって整備が進められたB地区に二十四ものバースが完成した。しかし、二〇〇〇年の目標四百二十五万四千トンに対して実績は九十一万トンにすぎない。しかも、同地区には二〇〇〇年までに、五パースの建設が計画されている。
さらに別の港では、一九九三年四月に使用が開始された鉄鋼貨物用の百メートルの岸壁に接岸するのは、年間十隻前後だという。ほかにも、年間二三隻の接岸しかない、パースがある港があることがわかる。これも氷山の一角だ。各地に港をつくったのはいいが、その後、産業構造の変化や空洞化で期待の工場が後背地に来なかったり、港が小さすぎ、大型化するコンテナ船が入港できないなど、低利用の港が少なくない。いったん計画をたてると、情勢が変わってもそれに固執するので、ムダがますます増える構造になっている。
相次ぐ計画の実行の結果どうなったか。一九九六年九月、総務庁行政監察局は「港湾に関する行政監査結果報告書」を発表し、ムダな港湾づくりの例を指摘した。同報告は全国で主要な港のうち三十三ヵ所を調査しただけだが、報告書には驚くべき事例が満ちていた。同局の慣例で、固有名詞は避けているが、記述内容から具体的に推定できる港湾もある。
企業誘致に失敗した青森県のむつ小川原開発では、はじめ予定した製造業関連の工場の立地がほとんどなトのに、むつ小川原港(と推定される港)には公共の岸壁バースが十二もできており、取扱量の平均は二〇〇〇年の目標の一〇パーセントに満たず、現状では目標の達成は無理だとしている。
別の港では、すでにA地区に八バースができていたのに、近年になって整備が進められたB地区に二十四ものバースが完成した。しかし、二〇〇〇年の目標四百二十五万四千トンに対して実績は九十一万トンにすぎない。しかも、同地区には二〇〇〇年までに、五パースの建設が計画されている。
さらに別の港では、一九九三年四月に使用が開始された鉄鋼貨物用の百メートルの岸壁に接岸するのは、年間十隻前後だという。ほかにも、年間二三隻の接岸しかない、パースがある港があることがわかる。これも氷山の一角だ。各地に港をつくったのはいいが、その後、産業構造の変化や空洞化で期待の工場が後背地に来なかったり、港が小さすぎ、大型化するコンテナ船が入港できないなど、低利用の港が少なくない。いったん計画をたてると、情勢が変わってもそれに固執するので、ムダがますます増える構造になっている。
2016年2月12日金曜日
尽きたエネルギー
実際にその後、細川政権の政策がどの程度実現され、何か変わったのかについての分析は第二部以降に譲るとして、政権交替の実現が、何かが変わるという期待を人々に抱かせたことはたしかだった。細川内閣の支持率が発足直後の九月はじめ、七一%に達し、その理由に、「なんとなく政治に変化が期待できそうだから」をあげた人が三七%にものばったことも、そのことを示していた(朝日新聞、九三年九月八日)。しかし、その曖昧さは、また、何かが変わらないと人々が判断したとき、内閣は行き詰まることを示していた。
細川内閣の政策面での実績は、小選挙区比例代表並立制による選挙制度の改革が、日本政治に与えた影響の大きさという意味では最大であろう。コメ市場の部分開放も、その決定に細川首相自身の指導力があったか否かは別にして、歴史に残る。しかし、在任期間八ヶ月はあまりに短かった。
首相就任時に政治改革と並んであげた行政改革、規制緩和、税制改革の多くは緒についただけか、積み残しとなって終わった。特に、九四年二月三日に突然明らかにされた、大型恒久減税の代わりに消費税率を七%にあげるという国民福祉税構想は、与党内の事前調整が十分得られず、わずか五日後に撤回された。
九三年八月二三日に行われた所信表明演説を読み返してみると、細川自身、唯一最大の課題として、政治改革関連法案の成立をあげていたことがわかる。演説冒頭で、冷戦の終焉によって、日本の政治の二極化の時代も終わりをつげ、二一世紀に向けた新しい時代が幕を開くことになったと強調する一方、「今回の選挙で国民の皆様方から与えられました政治改革実現のための千載一遇のチャンスを逃すことなく、『本年中に政治改革を断行する』ことを私の内閣の最初の、そして最優先課題とさせていただきます」と述べていた。
また、政治腐敗の温床である、政・官・業の癒着体質や族議員政治の打破についても触れている。その意味では、九四年一月二八日に難産の末、小選挙区比例代表並立制の導入が決まった時点で、細川内閣のエネルギーは燃え尽きていたとみることもできる。
細川内閣の政策面での実績は、小選挙区比例代表並立制による選挙制度の改革が、日本政治に与えた影響の大きさという意味では最大であろう。コメ市場の部分開放も、その決定に細川首相自身の指導力があったか否かは別にして、歴史に残る。しかし、在任期間八ヶ月はあまりに短かった。
首相就任時に政治改革と並んであげた行政改革、規制緩和、税制改革の多くは緒についただけか、積み残しとなって終わった。特に、九四年二月三日に突然明らかにされた、大型恒久減税の代わりに消費税率を七%にあげるという国民福祉税構想は、与党内の事前調整が十分得られず、わずか五日後に撤回された。
九三年八月二三日に行われた所信表明演説を読み返してみると、細川自身、唯一最大の課題として、政治改革関連法案の成立をあげていたことがわかる。演説冒頭で、冷戦の終焉によって、日本の政治の二極化の時代も終わりをつげ、二一世紀に向けた新しい時代が幕を開くことになったと強調する一方、「今回の選挙で国民の皆様方から与えられました政治改革実現のための千載一遇のチャンスを逃すことなく、『本年中に政治改革を断行する』ことを私の内閣の最初の、そして最優先課題とさせていただきます」と述べていた。
また、政治腐敗の温床である、政・官・業の癒着体質や族議員政治の打破についても触れている。その意味では、九四年一月二八日に難産の末、小選挙区比例代表並立制の導入が決まった時点で、細川内閣のエネルギーは燃え尽きていたとみることもできる。
2016年1月15日金曜日
アニミズムは「生き神」や「生き仏」を生み出しやすい
アニミズムは「生き神」や「生き仏」を生み出しやすいのである。というより、誰もが神や仏になれるのがアニミズムの特質なのである。戦死した軍人は皆「軍神」となって、なかには神社まで建ててもらった将軍も少なくないし、一般の人々も死後は「仏」となって奉られるのである。
まさにこの点で、日本の神や仏は西欧の唯一絶対の神とは著しく異なっている。しかし、差異を強調しすぎるのも誤りで、両者は同時に「奇跡を託される存在」という共通の属性も持っているのである。
元寇の際に吹いた大嵐を「神風」と呼んだのはその証拠であるし、今日も難病や困難な問題で苦しんでいる人たちが、神となり仏となった「ご先祖様」に手を合わせて奇跡を願う光景は日常的に見られるものである。
「奇跡を託される存在」という点では八百万の神々も唯一絶対の神も同じであって、これこそが人間の宗教心の原点なのである。
「生き神」や「生き仏」を生みやすいアニミズム文明は原理的に聖と俗の境界があいまいな社会構造を持つのに対し、唯一絶対の神の文明ではキリスト教のように聖と俗の境界がはっきりと分かれているか、逆にイスラム教のように聖と俗が一致している社会構造を持つ、という対比がある。
唯一絶対の神の文明は原理的にはイスラム教世界のように聖と俗の一致する社会構造を有するはずであるが、キリスト教はイエスが「カエサルのものはカエサルのもとへ、神のものは神のもとへ」と聖と俗を截然と分けたことが契機となって、聖と俗の二項対立の社会構造へと進化してきた。
それゆえ、西欧文明は聖書にあるイエスのさまざまな奇跡に見るように、聖の世界はオカルト神秘主義に満ちているにもかかわらず、俗の世界ではオカルト神秘主義にあまり惑わされずに、透徹したリアリズムやプラグマティズムの視点から思考する精神構造へと進化できたのではないかと私は考えている。
この点日本は逆で、聖と俗の境界があいまいであるがゆえに、その境界の中から簡単に「天皇現人神」が生まれ、また本来聖に属するはずの事柄が俗へと下りてきたり、逆に俗に属するはずの事柄が「聖化」されるという「相互移入」を起こしやすいのである。
大東亜戦争末期の「神州不滅」のかけ声が前者の典型であり、「不磨の大典」となった「大日本帝国憲法」は後者の典型である。
まさにこの点で、日本の神や仏は西欧の唯一絶対の神とは著しく異なっている。しかし、差異を強調しすぎるのも誤りで、両者は同時に「奇跡を託される存在」という共通の属性も持っているのである。
元寇の際に吹いた大嵐を「神風」と呼んだのはその証拠であるし、今日も難病や困難な問題で苦しんでいる人たちが、神となり仏となった「ご先祖様」に手を合わせて奇跡を願う光景は日常的に見られるものである。
「奇跡を託される存在」という点では八百万の神々も唯一絶対の神も同じであって、これこそが人間の宗教心の原点なのである。
「生き神」や「生き仏」を生みやすいアニミズム文明は原理的に聖と俗の境界があいまいな社会構造を持つのに対し、唯一絶対の神の文明ではキリスト教のように聖と俗の境界がはっきりと分かれているか、逆にイスラム教のように聖と俗が一致している社会構造を持つ、という対比がある。
唯一絶対の神の文明は原理的にはイスラム教世界のように聖と俗の一致する社会構造を有するはずであるが、キリスト教はイエスが「カエサルのものはカエサルのもとへ、神のものは神のもとへ」と聖と俗を截然と分けたことが契機となって、聖と俗の二項対立の社会構造へと進化してきた。
それゆえ、西欧文明は聖書にあるイエスのさまざまな奇跡に見るように、聖の世界はオカルト神秘主義に満ちているにもかかわらず、俗の世界ではオカルト神秘主義にあまり惑わされずに、透徹したリアリズムやプラグマティズムの視点から思考する精神構造へと進化できたのではないかと私は考えている。
この点日本は逆で、聖と俗の境界があいまいであるがゆえに、その境界の中から簡単に「天皇現人神」が生まれ、また本来聖に属するはずの事柄が俗へと下りてきたり、逆に俗に属するはずの事柄が「聖化」されるという「相互移入」を起こしやすいのである。
大東亜戦争末期の「神州不滅」のかけ声が前者の典型であり、「不磨の大典」となった「大日本帝国憲法」は後者の典型である。
2015年12月12日土曜日
中断された干拓工事
建設省の陰に隠れがちだが、農水省も公共事業予算の二割を握り、省庁のなかでは二番目に大きな実施官庁である。同省も税金の使い方にムダがあると批判されて久しい。そうした批判が的を射ていることを改めて印象づけたのは、一九九六年に再開問題が浮上した中海干拓事業である。
これは、島根県と鳥取県にまたがる中海の五ヵ所を干拓して合計二千五百四十一ヘクタールの水田を中心とした農地をつくるとともに、日本海につながる中海に防潮水門を設けて締め切り、中海とそれに連なる島根県の宍道湖を淡水化して農業用水を確保するという農水省の直轄工事である。
工事は一九六三年に始まったが、一九八八年に中断に追い込まれた。自民党政府は一九七〇年からコメ余りに対処するため減反政策を始めた。巨費を投じて、なぜいまさら水田なのかという疑問が起きてきた。中海と宍道湖は海水と淡水がまじる汽水湖で、野鳥や魚類の宝庫であり、特産のヤマトシジミでも知られる。両湖を淡水化すれば、自然の宝庫は壊滅的な打撃をうける。河口堰で締め切られた茨城県の霞ヶ浦が緑のアオコで覆われたように、日本でも有数の美しい景観を誇る湖が失われる。島根県からはしまった自然保護運動の輪は全国に広がり、工事に反対する署名は三十二万を超えた。
運動は成功し、水門などは完成していたが淡水化は見送られ、干拓地も最大の本庄工区二千六百八十九ヘクタール)をのぞいて完工していたが、浚渫船やブルドーザーは引き揚げた。本庄工区も、周囲に堤防の仕切りがほぼ完成し、あとは水を抜けば陸地にできそうな状態になっている。ぎりぎりのところで、ストップがかけられたのである。
これは、島根県と鳥取県にまたがる中海の五ヵ所を干拓して合計二千五百四十一ヘクタールの水田を中心とした農地をつくるとともに、日本海につながる中海に防潮水門を設けて締め切り、中海とそれに連なる島根県の宍道湖を淡水化して農業用水を確保するという農水省の直轄工事である。
工事は一九六三年に始まったが、一九八八年に中断に追い込まれた。自民党政府は一九七〇年からコメ余りに対処するため減反政策を始めた。巨費を投じて、なぜいまさら水田なのかという疑問が起きてきた。中海と宍道湖は海水と淡水がまじる汽水湖で、野鳥や魚類の宝庫であり、特産のヤマトシジミでも知られる。両湖を淡水化すれば、自然の宝庫は壊滅的な打撃をうける。河口堰で締め切られた茨城県の霞ヶ浦が緑のアオコで覆われたように、日本でも有数の美しい景観を誇る湖が失われる。島根県からはしまった自然保護運動の輪は全国に広がり、工事に反対する署名は三十二万を超えた。
運動は成功し、水門などは完成していたが淡水化は見送られ、干拓地も最大の本庄工区二千六百八十九ヘクタール)をのぞいて完工していたが、浚渫船やブルドーザーは引き揚げた。本庄工区も、周囲に堤防の仕切りがほぼ完成し、あとは水を抜けば陸地にできそうな状態になっている。ぎりぎりのところで、ストップがかけられたのである。
2015年11月13日金曜日
山下公園地区の整備
その頃、アーバンデザインーチームは、この山下公園前の海岸通り地区で行なわれる、さまざまの開発行為や建築行為について、どのような方針でのぞむかの骨子をまとめた。考え方は現実性もあり、明快なものでなければならない。そこで、港の眺望がすばらしいこの地区を、特定個人の独占を避けて、できるだけ不特定の者でも出入りできる公共的な性格をもったものにすること。個人に占有されるマンションはやめる。海岸通りの歩道も狭いので、これに面する建築物は、前面敷地から三メートルを後退させ、歩道と同一仕上げにして、歩道幅員を確保すること。
歩行者と車の動線を極力分離し、山下公園側の歩道は車の出入りによって分断されないように、駐車場や車の乗りつけは、裏側や側面で行なう。歩行者道に添って、できるだけ広場を確保させ、この広場を、他の建物の広場とも互いに呼応させる。このような原則を立てた。指導内容は、ゾーンごとに異なるが、表のような項目である。さきほど述べてきたような、この地区についてのさまざまな手段は、原則をたてる以前から行なってきたが、ここへきて、もうすこし具体的な方針を明確にうちだした。
神奈川県が、この地区に三〇〇〇人近い大ホールを含む県民ホールを建設したいという申入れがあったからである。たしかにここは整備さえすれば横浜らしさ、ミナトらしさからみて第一等地であった。それは、さきほどの市の所有地と同じブロックで、その大部分は県有地である。そこで市の土地も買収し、一ブロックまとめて建設をしたいという申入れであった。市としても、独自の単独利用案を考えてはいたが、この山下公園地区の整備のために、県に協力することにした。
県知事から市長への申入れがあったさい、「土地売却には協力するが、この地区を全体として横浜らしい個性ある地域として整備したいので、市のアーバンデザインなどの指導方針に従ってほしい」という申入れを行なった。そこでさきほどのような原則を、県側に提示した。同じ頃、県民ホールの隣りのブロご所が中心になって、横浜産業貿易センタービルを建設する計画が進められていた。
このビルにも同じ申入れを行ない、さらに、ほぼ同時に建つこの二つのビルの、それぞれ向きあった角地に、広場をとることを提案した。土一升金一升の高価な土地で、前面を三メートルも歩道敷として削られたうえに、なお前面に合わせて三○○○平方メートルの広い広場をとることなどは、できないことだとの抵抗もあった。これも環境設計制度という、まえから手を打っていた施策がきいたことと、ねばり強い説得とで解決していった。
歩行者と車の動線を極力分離し、山下公園側の歩道は車の出入りによって分断されないように、駐車場や車の乗りつけは、裏側や側面で行なう。歩行者道に添って、できるだけ広場を確保させ、この広場を、他の建物の広場とも互いに呼応させる。このような原則を立てた。指導内容は、ゾーンごとに異なるが、表のような項目である。さきほど述べてきたような、この地区についてのさまざまな手段は、原則をたてる以前から行なってきたが、ここへきて、もうすこし具体的な方針を明確にうちだした。
神奈川県が、この地区に三〇〇〇人近い大ホールを含む県民ホールを建設したいという申入れがあったからである。たしかにここは整備さえすれば横浜らしさ、ミナトらしさからみて第一等地であった。それは、さきほどの市の所有地と同じブロックで、その大部分は県有地である。そこで市の土地も買収し、一ブロックまとめて建設をしたいという申入れであった。市としても、独自の単独利用案を考えてはいたが、この山下公園地区の整備のために、県に協力することにした。
県知事から市長への申入れがあったさい、「土地売却には協力するが、この地区を全体として横浜らしい個性ある地域として整備したいので、市のアーバンデザインなどの指導方針に従ってほしい」という申入れを行なった。そこでさきほどのような原則を、県側に提示した。同じ頃、県民ホールの隣りのブロご所が中心になって、横浜産業貿易センタービルを建設する計画が進められていた。
このビルにも同じ申入れを行ない、さらに、ほぼ同時に建つこの二つのビルの、それぞれ向きあった角地に、広場をとることを提案した。土一升金一升の高価な土地で、前面を三メートルも歩道敷として削られたうえに、なお前面に合わせて三○○○平方メートルの広い広場をとることなどは、できないことだとの抵抗もあった。これも環境設計制度という、まえから手を打っていた施策がきいたことと、ねばり強い説得とで解決していった。
2015年10月13日火曜日
日本企業への三下り半
「火だるまになってもやりとげる」日本版金融ビッグバンの構想が、橋本首相(当時)のかけ声よろしく打ち出された頃は、英国の「金融ビッグバン・ウィンブルドン現象」の連想から、日本の金融機関も相次いで外資の手中に陥るのかという議論が横行したものである。
その後は足下の金融危機と不況の深刻化で、メディアも外資の攻勢に気をもむ余裕さえ失っていた感がある。そして、気がつけば旧山一燈券の三十三の店舗と約二千名の従業員をメリルリンチが、消費者金融のレイク、東邦生命、日本リースをGEキャピタルが手中に収めたように、早くも破綻や経営危機から外資の軍門に降るケースが現実のものとなってきた。
東京三菱の役員をしている友人が、東大からの志願者が激減したので私立大の内定を増やしたと嘆いていた。すこしは官僚体質が減るのでむしろ喜ばしいのでは、と内心思ったが、友人は本当に心配そうだった。東大生の外資系希望者が九七年には四%未満だったのに、九八年は二六%を超える伸びを示し、一橋その他でも似たような状況だと新聞も報じていた(朝日新聞一九九八年六月六日)。ある東大生は「定年までずっと守ってくれるという日本企業への信頼感が崩れた。本格的な競争社会で生き残る自信もある」という。
時代は急速に変わっている。外資系に入社しようとする若者の意気込みが、寄らば大樹の陰を望む大方の有名大学の学生とはまるで違うという話を、一橋大学の中谷巌教授から聞いたことがある。ある外資系金融機関に就職することになったゼミ生は、内定するや、ゼミでの報告を英語でやらせてほしいと希望し、見る見るうちにプレゼンテーション技術も英語力も向上したし、英語のファイナンス理論の教科書を熱心に読むようになったという。
それは日本の一流会社に就職した他の学生が、一安心して海外旅行などで遊び回るのと好対照であり、その理由を探ると、彼には初任給七〇〇万円と他の学生の倍以上の年俸が三年間保証されているが、その後は業績次第で一五〇〇万円に昇給するか、後方事務部門に配置されて賃下げとなるかが決まる、という事情が明らかになったそうだ。
その後は足下の金融危機と不況の深刻化で、メディアも外資の攻勢に気をもむ余裕さえ失っていた感がある。そして、気がつけば旧山一燈券の三十三の店舗と約二千名の従業員をメリルリンチが、消費者金融のレイク、東邦生命、日本リースをGEキャピタルが手中に収めたように、早くも破綻や経営危機から外資の軍門に降るケースが現実のものとなってきた。
東京三菱の役員をしている友人が、東大からの志願者が激減したので私立大の内定を増やしたと嘆いていた。すこしは官僚体質が減るのでむしろ喜ばしいのでは、と内心思ったが、友人は本当に心配そうだった。東大生の外資系希望者が九七年には四%未満だったのに、九八年は二六%を超える伸びを示し、一橋その他でも似たような状況だと新聞も報じていた(朝日新聞一九九八年六月六日)。ある東大生は「定年までずっと守ってくれるという日本企業への信頼感が崩れた。本格的な競争社会で生き残る自信もある」という。
時代は急速に変わっている。外資系に入社しようとする若者の意気込みが、寄らば大樹の陰を望む大方の有名大学の学生とはまるで違うという話を、一橋大学の中谷巌教授から聞いたことがある。ある外資系金融機関に就職することになったゼミ生は、内定するや、ゼミでの報告を英語でやらせてほしいと希望し、見る見るうちにプレゼンテーション技術も英語力も向上したし、英語のファイナンス理論の教科書を熱心に読むようになったという。
それは日本の一流会社に就職した他の学生が、一安心して海外旅行などで遊び回るのと好対照であり、その理由を探ると、彼には初任給七〇〇万円と他の学生の倍以上の年俸が三年間保証されているが、その後は業績次第で一五〇〇万円に昇給するか、後方事務部門に配置されて賃下げとなるかが決まる、という事情が明らかになったそうだ。
2015年9月12日土曜日
破傷風の予防接種
破傷風の予防接種は、人問の頭脳がトキソイドを考え出したことによって可能となった、純粋な人工的免疫現象ということになる。また予防接種を受けたことのないヒトが破傷風にかかった場合、時にはトキソイドを別の部位に注射することがある。これは患者が、抗体を自分で作ることを期待するものではない。トキソイドを注射しても、実際に抗体が作られ出すのはかなりあとのことであるからとても間に合わない。
これは毒素とトキソイドの形が似ているために、トキソイドを先回りさせることによって、毒素が神経細胞に取り付くことを邪魔させるためである。この場合、中和抗体とトキソイドを混合して注射すると同士討ちになってしまうから、両者は別の部位に注射する。ボツリヌス中毒も、理論的には予防接種で予防できる。しかし実際には、このような予防接種は行なわれない。なぜなら、一般のヒトがボツリヌス中毒にかかる確率が著しく低いからである。
創傷部位における致死的病変は感染症というより、結果的にその動物が死んだ後、改めて栄養源にするための手段と考えられる。また細菌学的には異なる菌種であるが、炭疸菌も破傷風菌やボツリヌス菌のような、いわば狩人のような細菌である。この細菌は通常、芽胞型として土壌中に存在する。主に草食動物が草を食べる際、ロの周りに生じた小さな傷口から侵入して全身で増殖し、動物を殺す。
殺した後、おそらくこの屍体を利用して、改めて本格的に増殖するところも同じである。そして栄養を消費し尽くすと、芽胞になって土壌中に潜在する。炭疸菌の芽胞によって汚染された土壌は、長期間危険とされている。なぜならこの菌の芽胞が、乾燥などの環境の悪条件に耐える力が非常に強いからである。このように芽胞は、環境条件が悪化した場合、通常の代謝活動をいっさい停止して乾燥などに抵抗する。前述の破傷風菌の仲間と炭疸菌が、ともに芽胞型になる能力をもっているのは偶然ではない。
彼らの生育環境である土壌は自然条件に左右され、細菌の生存や増殖にとって著しく不安定だからである。腐生菌と反対に寄生菌の場合には、宿主という環境は、この宿主が生存している限り、条件の変化は少ない。このことからも、寄生菌にとって宿主になる生物を殺すことは自滅行為であると考えられる。
これは毒素とトキソイドの形が似ているために、トキソイドを先回りさせることによって、毒素が神経細胞に取り付くことを邪魔させるためである。この場合、中和抗体とトキソイドを混合して注射すると同士討ちになってしまうから、両者は別の部位に注射する。ボツリヌス中毒も、理論的には予防接種で予防できる。しかし実際には、このような予防接種は行なわれない。なぜなら、一般のヒトがボツリヌス中毒にかかる確率が著しく低いからである。
創傷部位における致死的病変は感染症というより、結果的にその動物が死んだ後、改めて栄養源にするための手段と考えられる。また細菌学的には異なる菌種であるが、炭疸菌も破傷風菌やボツリヌス菌のような、いわば狩人のような細菌である。この細菌は通常、芽胞型として土壌中に存在する。主に草食動物が草を食べる際、ロの周りに生じた小さな傷口から侵入して全身で増殖し、動物を殺す。
殺した後、おそらくこの屍体を利用して、改めて本格的に増殖するところも同じである。そして栄養を消費し尽くすと、芽胞になって土壌中に潜在する。炭疸菌の芽胞によって汚染された土壌は、長期間危険とされている。なぜならこの菌の芽胞が、乾燥などの環境の悪条件に耐える力が非常に強いからである。このように芽胞は、環境条件が悪化した場合、通常の代謝活動をいっさい停止して乾燥などに抵抗する。前述の破傷風菌の仲間と炭疸菌が、ともに芽胞型になる能力をもっているのは偶然ではない。
彼らの生育環境である土壌は自然条件に左右され、細菌の生存や増殖にとって著しく不安定だからである。腐生菌と反対に寄生菌の場合には、宿主という環境は、この宿主が生存している限り、条件の変化は少ない。このことからも、寄生菌にとって宿主になる生物を殺すことは自滅行為であると考えられる。
2015年8月18日火曜日
反共的なイデオロギーをもつエリート
蒋介石と一緒に台湾に移り住んだのは、蒋に強い忠誠心を抱く、軍人を中心とした国民党エリートであった。反共的なイデオロギーをもつこのエリートは、台湾において党はもちろんのこと、軍部や政府を支配する圧倒的な権力を、その統治の初期的時点からもっていたのである。大陸中国からの脅威は恒常的であり、緊迫したものであった。この脅威は、国民党エリートの団結をいちだんと固いものにし、また国民党による原住「内省人」の統制を正当化する根拠ともなった。国民党による台湾支配の中枢にあったのは、軍部と特務機関であった。台湾住民の、外来のこの国民党に対する反感は複雑なものであったとはいえ、その反感を具体的な行動であらわすには、国民党の権力はあまりに強く、台湾住民の力はあまりに弱かった。
台湾を支配した国民党エリートは、かつて大陸時代のそれとは異なった行動様式をとることを余儀なくされた。大陸における国民党からの民心離反が、共産党との内戦に敗れた原因であることを、国民党エリートはようやく自覚するようになっていた。みずからの生存の頼みの綱であったアメリカは、大陸での国民党の敗北の原因がその腐敗と政治的無能にあったとして、国民党の台湾移転ののちも、なお国民党支持に少なからぬ懸念をみせていたのである。国民党にとってはまことにさいわいなことに、朝鮮戦争の勃発が反共勢力である国民党への支持をアメリカに余儀なくさせた。
台湾を支配した国民党エリートは、かつて大陸時代のそれとは異なった行動様式をとることを余儀なくされた。大陸における国民党からの民心離反が、共産党との内戦に敗れた原因であることを、国民党エリートはようやく自覚するようになっていた。みずからの生存の頼みの綱であったアメリカは、大陸での国民党の敗北の原因がその腐敗と政治的無能にあったとして、国民党の台湾移転ののちも、なお国民党支持に少なからぬ懸念をみせていたのである。国民党にとってはまことにさいわいなことに、朝鮮戦争の勃発が反共勢力である国民党への支持をアメリカに余儀なくさせた。
2015年7月14日火曜日
基礎年金による再編成
年金の算定は、この年代がもっとも複雑だ。これより若い新制度全面適用の年代の人々とともに、その年金加入期間は将来、かなり伸びると予想された。そのため、たとえば四〇年加入が普通の状況になっても、この単価、乗率の引き下げがきいて、年金額の水準は改正当時の水準にとどまると考えられたのである。したがってすでに受給している人の年金はそのままに据え置き、受給の近い高年者の分の切り下げはきびしいものとしない、などの考慮がされていた。しかし改正案がわかりにくい等のため、国民の開からこうした改正案への意見はほとんどきかれなかった。
国民年金は従来、自営業者等の年金であったがヽこれを「基礎年金」としヽ二〇歳から五九歳までの全国民が加入することになった。厚生年余、共済年金など被用者年金の加入者も国民年金に加入する。この点が非常にわかりにくいが、基礎年金を入れることで、制度の形を次のように再編成したものである。厚生年金は、先に述べたように報酬比例部分と定額部分の二つからなる。この定額部分に加給年金を加えたものを二分して、大と妻それぞれの基礎年金とした。したがって、サラリーマンの年金は、基礎年金という一階に、厚生年金の報酬比例部分がのる二階建てとなり、妻の分は基礎年金だけである。共済年金も、厚生年金と同様仁再編成された。
基礎年金を導入したメリットは何か。まず基礎年金は全国民共通の年金となり、負担も給付も同じ条件で扱われる。基礎年金部分については、各制度間で一本化される。さらに基礎年金の導入により、これまで世帯単位と個人単位の年金が共存していた日本の年金制度が、「個人単位」に衣更えする。夫の受ける厚生年余と基礎年金をあわせて一人分とし、妻の基礎年金も一人分である。
基礎年金の財源は各年金制度が加入者数に応じて持ち寄るので、逼迫した国民年金の財政は息をつくことができた。こうして基礎年金は、一種の合理化の対策でもあった。基礎年金の効巣がしきりにPRされたが、国民の目には、清新な価値ある年金とは映らなかったようだ。人々は四〇年加入で月五万円という年金額二九八四年度価格)に失望したのである。国会審議でもこの点に質問が集中した。
また、社会党と公明党が、基礎年金は国民の最低生活を保障するもので、生活保護基準を上まわるものでなければならないと主張したのに対して、当時年金局長だった吉原健二氏は、その編著書『新年金法』につぎのように書いている。「昭和五九二九八四」年度現在、六五歳単身男子の場合二級地(県庁所在地等地方中核都市)で〔生活保護費は〕雑費分も含めて五万三三六九円、夫六八歳、妻六五歳の夫婦の場合はあわせて八万三七四〇円であり、老人一人当たり、おおむね五万円前後の水準である。【中略】基礎年金の水準が、生活保護の水準と比べて必ずしも低いとはいえない。
国民年金は従来、自営業者等の年金であったがヽこれを「基礎年金」としヽ二〇歳から五九歳までの全国民が加入することになった。厚生年余、共済年金など被用者年金の加入者も国民年金に加入する。この点が非常にわかりにくいが、基礎年金を入れることで、制度の形を次のように再編成したものである。厚生年金は、先に述べたように報酬比例部分と定額部分の二つからなる。この定額部分に加給年金を加えたものを二分して、大と妻それぞれの基礎年金とした。したがって、サラリーマンの年金は、基礎年金という一階に、厚生年金の報酬比例部分がのる二階建てとなり、妻の分は基礎年金だけである。共済年金も、厚生年金と同様仁再編成された。
基礎年金を導入したメリットは何か。まず基礎年金は全国民共通の年金となり、負担も給付も同じ条件で扱われる。基礎年金部分については、各制度間で一本化される。さらに基礎年金の導入により、これまで世帯単位と個人単位の年金が共存していた日本の年金制度が、「個人単位」に衣更えする。夫の受ける厚生年余と基礎年金をあわせて一人分とし、妻の基礎年金も一人分である。
基礎年金の財源は各年金制度が加入者数に応じて持ち寄るので、逼迫した国民年金の財政は息をつくことができた。こうして基礎年金は、一種の合理化の対策でもあった。基礎年金の効巣がしきりにPRされたが、国民の目には、清新な価値ある年金とは映らなかったようだ。人々は四〇年加入で月五万円という年金額二九八四年度価格)に失望したのである。国会審議でもこの点に質問が集中した。
また、社会党と公明党が、基礎年金は国民の最低生活を保障するもので、生活保護基準を上まわるものでなければならないと主張したのに対して、当時年金局長だった吉原健二氏は、その編著書『新年金法』につぎのように書いている。「昭和五九二九八四」年度現在、六五歳単身男子の場合二級地(県庁所在地等地方中核都市)で〔生活保護費は〕雑費分も含めて五万三三六九円、夫六八歳、妻六五歳の夫婦の場合はあわせて八万三七四〇円であり、老人一人当たり、おおむね五万円前後の水準である。【中略】基礎年金の水準が、生活保護の水準と比べて必ずしも低いとはいえない。
2015年6月12日金曜日
都市銀行のBIS自己資本比率の推移
大規模増資と株式含み益のT2項目への追加的算入による自己資本の急拡大は、銀行の信用供与額の大幅な拡大を可能とさせた。表は都銀についてのBIS規制関係の主要な計数を並べたものである。リスクーアセットの増加状況をみると、前年同期に比較しても、九年三月期には約四一兆円、九〇年三月期には実に六二兆円もの純増を示している。
BIS規制を応用した銀行のバブル期における与信能力の激増は、ひとたび株価が暴落を始めると、大逆転となることを余儀なくされた。実際、銀行の与信能力の急速な減退ぶりは、まさに目を被いたくなるばかりのすさまじさであった。そして、BIS規制のもつ強力な信用収縮メカニズムを通じて、株式市場の動向が金融システムの安定性や信用創造の問題に対し、いかに絶大な影響を及ぼすものになっているかを認識させるようになったのである。
九〇年初めからの株価急落は、金融機関の・含み益を急速に縮小させた。表をもう一度眺めるならば、株式含み益の減少がいかにすさまじいものであったかがわかる。都銀だけでも八九年三月期の約三九兆円から、九一年三月期の約二二兆円へと、わずか二年間でほぼ半減した。そして九二年三月期にはさらに半減し一〇兆円になった。株式含み益が二~三年でここまで減少すると、銀行にとっては自己資本のうちの補完的項目(T2)が急低下するのは当然である。これを反映して、BIS自己資本比率は大きく低下し、九〇年から九二年にかけて、最低要求水準である八%の達成すらも危うくなった。
主要な都市銀行のBIS自己資本比率の推移をみると、バーゼル合意が績ばれた直後の八九年三月期には、BIS自己資本比率は一〇%にも達していた。また当時は、増資や豊富な株式含み益を考慮に入れれば、たとえ信用供与を大幅に増加させ続けるとしても、八%基準の達成などはほとんど障害にはならないとの認識が一般的であった。だが現実は、こうした認識がいかに甘い前提に基づくものであったかを厳しく暴きだした。
九〇年九月期には中間決算とはいえ、株式含み益減少によるT2項目の急減を主因に、BIS自己資本比率は一気に七%台にまで低下した。これにより、わが国の銀行がBIS基準の最低ラインである八%を達成することは、当初の楽観的見解とは裏腹に、それほど容易なものではないとの悲観的認識に一気に変化した。もとはといえば、八%基準の達成を容易にするために、日本側が株式含み益の四五%をT2項目に算入することを強く主張したことが原因であった。
BIS規制を応用した銀行のバブル期における与信能力の激増は、ひとたび株価が暴落を始めると、大逆転となることを余儀なくされた。実際、銀行の与信能力の急速な減退ぶりは、まさに目を被いたくなるばかりのすさまじさであった。そして、BIS規制のもつ強力な信用収縮メカニズムを通じて、株式市場の動向が金融システムの安定性や信用創造の問題に対し、いかに絶大な影響を及ぼすものになっているかを認識させるようになったのである。
九〇年初めからの株価急落は、金融機関の・含み益を急速に縮小させた。表をもう一度眺めるならば、株式含み益の減少がいかにすさまじいものであったかがわかる。都銀だけでも八九年三月期の約三九兆円から、九一年三月期の約二二兆円へと、わずか二年間でほぼ半減した。そして九二年三月期にはさらに半減し一〇兆円になった。株式含み益が二~三年でここまで減少すると、銀行にとっては自己資本のうちの補完的項目(T2)が急低下するのは当然である。これを反映して、BIS自己資本比率は大きく低下し、九〇年から九二年にかけて、最低要求水準である八%の達成すらも危うくなった。
主要な都市銀行のBIS自己資本比率の推移をみると、バーゼル合意が績ばれた直後の八九年三月期には、BIS自己資本比率は一〇%にも達していた。また当時は、増資や豊富な株式含み益を考慮に入れれば、たとえ信用供与を大幅に増加させ続けるとしても、八%基準の達成などはほとんど障害にはならないとの認識が一般的であった。だが現実は、こうした認識がいかに甘い前提に基づくものであったかを厳しく暴きだした。
九〇年九月期には中間決算とはいえ、株式含み益減少によるT2項目の急減を主因に、BIS自己資本比率は一気に七%台にまで低下した。これにより、わが国の銀行がBIS基準の最低ラインである八%を達成することは、当初の楽観的見解とは裏腹に、それほど容易なものではないとの悲観的認識に一気に変化した。もとはといえば、八%基準の達成を容易にするために、日本側が株式含み益の四五%をT2項目に算入することを強く主張したことが原因であった。
2015年5月18日月曜日
文章力でビジネスマンの資質は決まる
交渉力・提案力は、裏を返せば論理的な理解力と表現力である。論理の塊であるコンピュータの世界に身を置くSEは心がけしだいで身につけることができるはずだ。まずは人を好きになることだろう。相手に理解してもらおうという真摯な気持ちさえあれば、もともと技術的背景はあるのだから、説得は容易なはずである。
次に文章力である。これも苦手なSEが多い。プログラムを組ませたら一流の腕でも、企画書や提案書を書かせたらどうしようもないヶIスがほとんどである。誤字脱字は論外、文法ミス、文章の論理的構成力不足などあげたらきりがない。わたしの経験でも、ビジネスレターひとつ満足に書けないSEが大勢存在した。過去はそれで通用したかもしれないが、これからはそうはいかない。
これも先ほどの交渉力・提案力と同じことが言える。昔のSEは、企業の前線部門とは分離され、完全に後方支援のような存在だったから、文章力は要求されなかった。確かな技術で品質のよいモノを作ってさえいればそれでよかったのだ。だが、いまや前線と後方支援の垣根は取り払われ、SEも最前線に出ていかなければならない時代だ。そうなると、当然文章力が問われるようになる。
ビジネスマンはある意味、言葉で勝負していると言ってもよい。□で話す百葉と文章にする言葉の二つである。この二つを有効活用できるビジネスマンが優秀と見なされる。話し言葉は、交渉と提案(プレゼンテーション)能力に活かされる。文章の言葉は、企画書、社内報告書、顧客とのやりとりで活かされる。逆に言えば、口下手で文章が書けないビジネスマンにとっては生き抜くのがむずかしい時代なのである。
SEは、まさにそんなビジネスマンの代表格たった。だが、それを改めなければ「勝ち組SE」には入れない。これからのSEは、徹底的に文章力を鍛えてほしい。具体的にどうやったらよいかといえば、いちばん簡単なのはほかの優れた文章をまねることである。職場を見渡せば、上司や先輩に文章の達者な人が必ずいるはずだ。その人の文章を徹底的にまねるのである。これはわたしの経験から話している。文章は教わるものではない、盗むものだからだ。
次に文章力である。これも苦手なSEが多い。プログラムを組ませたら一流の腕でも、企画書や提案書を書かせたらどうしようもないヶIスがほとんどである。誤字脱字は論外、文法ミス、文章の論理的構成力不足などあげたらきりがない。わたしの経験でも、ビジネスレターひとつ満足に書けないSEが大勢存在した。過去はそれで通用したかもしれないが、これからはそうはいかない。
これも先ほどの交渉力・提案力と同じことが言える。昔のSEは、企業の前線部門とは分離され、完全に後方支援のような存在だったから、文章力は要求されなかった。確かな技術で品質のよいモノを作ってさえいればそれでよかったのだ。だが、いまや前線と後方支援の垣根は取り払われ、SEも最前線に出ていかなければならない時代だ。そうなると、当然文章力が問われるようになる。
ビジネスマンはある意味、言葉で勝負していると言ってもよい。□で話す百葉と文章にする言葉の二つである。この二つを有効活用できるビジネスマンが優秀と見なされる。話し言葉は、交渉と提案(プレゼンテーション)能力に活かされる。文章の言葉は、企画書、社内報告書、顧客とのやりとりで活かされる。逆に言えば、口下手で文章が書けないビジネスマンにとっては生き抜くのがむずかしい時代なのである。
SEは、まさにそんなビジネスマンの代表格たった。だが、それを改めなければ「勝ち組SE」には入れない。これからのSEは、徹底的に文章力を鍛えてほしい。具体的にどうやったらよいかといえば、いちばん簡単なのはほかの優れた文章をまねることである。職場を見渡せば、上司や先輩に文章の達者な人が必ずいるはずだ。その人の文章を徹底的にまねるのである。これはわたしの経験から話している。文章は教わるものではない、盗むものだからだ。
2015年4月13日月曜日
多彩性の特徴
政治家は誰もがこの「多彩性の中の統一性」を、文字どおり死守してきた。マハートマーカンディーはもちろんインドのこの一体性を一番よく信じていただけに、政治的にそれを守れなかったことで、自分白身大いに苦しんだ。しかも最終的にはヒンドゥー教徒の若者に暗殺された。記憶に新しいのは、1984年に起きた、インド連邦第5、8代首相インディラーガンディーの暗殺である。当時、シーク教徒の多いパンジャーブ地方ではインドからの独立の動きが高まり、シーク過激派の根拠地であったゴールデンニアンプルをインド政府は武力で制圧した。このことにシーク過激派が猛反発し、彼女は自分の護衛にあたっていたシーク教徒警官に殺されてしまったのだ。
インドの統一を守るため、シーク過激派に厳しく対処する一方で、インディラーガンディーはシーク教徒を排除しなかった。シーク教徒は戦が上手なので、軍隊や警察には多くのシーク教徒がいたし、インディラーガンディー自身の護衛もシーク教徒だった。シーク過激派の反発が強まる中、危険を感じた側近たちが「せめて自分の護衛からはシーク教徒を外すべきだ」と懇願するのを制して、彼女は「私がそれをしたら、インドが一つであることを証明できなくなる。悪いことをしている政治家と、暴力手段に訴えるテロリストだけが悪いのであって、シーク教徒が悪いのではないということを、私は証明しなければならない」と、断固としてシーク教徒の護衛を雇い続けた。
シーク教徒の護衛の動きがおかしいから、解雇が無理ならせめて休暇をとらせてくれ、と諜報機関が警告する厳戒態勢の中で行なわれた、インディラーガンディー最後の演説は有名だ。「私か死んだなら、私の血の1滴1滴は、『自由』にして『分断されない』わが祖国を養い強める糧となるでしょう」。私たちインド人は、さまざまな違いを抱えながら、それでも一つの国家であると信じることで成り立っている国である。それを守り抜くために自分の命が使われるのならば惜しくないという、覚悟の表明だったのだ。すべてが彼女の言葉どおりになった。翌朝家を出た彼女は、家からオフィスまでのほんの10歩を歩く間に、2人のシーク教徒の護衛に朝の「ナマステー」の挨拶の返事として、真正面から30発以上のマシンガンを撃ち込まれた。至近距離からだったこともあり、ほとんど胴体が残らないくらいの凄まじさだったと言う。
インドの統一を守るため、シーク過激派に厳しく対処する一方で、インディラーガンディーはシーク教徒を排除しなかった。シーク教徒は戦が上手なので、軍隊や警察には多くのシーク教徒がいたし、インディラーガンディー自身の護衛もシーク教徒だった。シーク過激派の反発が強まる中、危険を感じた側近たちが「せめて自分の護衛からはシーク教徒を外すべきだ」と懇願するのを制して、彼女は「私がそれをしたら、インドが一つであることを証明できなくなる。悪いことをしている政治家と、暴力手段に訴えるテロリストだけが悪いのであって、シーク教徒が悪いのではないということを、私は証明しなければならない」と、断固としてシーク教徒の護衛を雇い続けた。
シーク教徒の護衛の動きがおかしいから、解雇が無理ならせめて休暇をとらせてくれ、と諜報機関が警告する厳戒態勢の中で行なわれた、インディラーガンディー最後の演説は有名だ。「私か死んだなら、私の血の1滴1滴は、『自由』にして『分断されない』わが祖国を養い強める糧となるでしょう」。私たちインド人は、さまざまな違いを抱えながら、それでも一つの国家であると信じることで成り立っている国である。それを守り抜くために自分の命が使われるのならば惜しくないという、覚悟の表明だったのだ。すべてが彼女の言葉どおりになった。翌朝家を出た彼女は、家からオフィスまでのほんの10歩を歩く間に、2人のシーク教徒の護衛に朝の「ナマステー」の挨拶の返事として、真正面から30発以上のマシンガンを撃ち込まれた。至近距離からだったこともあり、ほとんど胴体が残らないくらいの凄まじさだったと言う。
2015年3月13日金曜日
ジフテリア毒素もジフテリア菌の増殖を助ける
ジフテリア毒素もジフテリア菌の増殖を助けるのではないかと考えてみると、粘膜に潰瘍を形成して、血液の中の栄養を感染部位に呼び寄せることが毒素の役目であるということになる。ファージの根源的本体は、ファージ粒子よりもプロファージのほうではないか。また、破傷風毒素プラスミドやRプラスミドが保有している毒素遺伝子や耐性遺伝子の意味も、同じように考えられるのではないか。それと同時に、プロファージやプラスミドにも主体性があるのではないか、ということなどである。
普通、「なぜ」とか「どうして」という問いかけは、研究の場では意味のあるものとは受け止められていないように思える。同様に意味というものについても、研究の場では考えることがむしろ疎んじられているのではないだろうか。おそらく、このような問いを投げかけたり意味を考えることは、直接に何かの発見につながらないからだろう。
説明は事実を否定するものではない。むしろ説明は事実の上に立脚するものであり、結果として断片的な事実を総合することでもある。したがって説明は不必要なものではなく、求めることが誤りなのでもない。それでは、なぜこのように説明が疎んぜられるのであろうか。その理由として、ある対象が分析され尽くしたとしても、それをもう一度再構成することはそれほど簡単なことではないということが挙げられるように思う。
普通、「なぜ」とか「どうして」という問いかけは、研究の場では意味のあるものとは受け止められていないように思える。同様に意味というものについても、研究の場では考えることがむしろ疎んじられているのではないだろうか。おそらく、このような問いを投げかけたり意味を考えることは、直接に何かの発見につながらないからだろう。
説明は事実を否定するものではない。むしろ説明は事実の上に立脚するものであり、結果として断片的な事実を総合することでもある。したがって説明は不必要なものではなく、求めることが誤りなのでもない。それでは、なぜこのように説明が疎んぜられるのであろうか。その理由として、ある対象が分析され尽くしたとしても、それをもう一度再構成することはそれほど簡単なことではないということが挙げられるように思う。
2015年2月13日金曜日
政府の検討結果
日本政府やGATTなど各種の報告書からも明らかであるが、少なくとも関税に関しては、日本は世界中でも低い水準にある。関税に関しては既に国内市場の開放は終かっているといって差し支えない。しかし、政府や業界による規制や非関税障壁については、いくつか考えなくてはならない点がある。特に規制の厳しい市場に対しては、外国からの直接投資や輸入品の流通チャンネルなどにいくつか問題点がある。
そして、外国人の目ばかりでなく、私達日本の消費者の目からみても、規制緩和の必要が実感できる。経団連も、日本の国でビジネスを発展させていく上で各種の規制が邪魔になりつつあることを、いろいろな機会で指摘するようにかっている。元々、政・官・財のトライアングルの中で固有の利益を得てきた財界の中でも、規制を続けている産業と規制が邪魔になってきた産業の問で足並みが乱れてきたのである。そして経団連の一部でも、規制緩和はコストを下げる効果を持つということが公然といわれだしたのである。
元来、規制とは一種の独占市場を作ることである。免許制を採用すれば、明らかに参入の自由に抵触することになる。各種の規制を課すことによって、価格や品質以外の部分で企業が競争をすることとなり、「経済学的世界観」と相入れないところとなる。規制緩和の波を持続させるためには、国内市場における価格競争を供給者と流通部門において進めていく必要がある。
一九九四年に経済企画庁に設置された内外価格差に関する研究会において、生産性が小売価格を決定する重要な要因であるといっている。そして、各国の生産性の格差は(1)経済規模、(2)市場開放の程度、(3)規制緩和の程度、(4)商慣習、(5)要素賦存量(労働、土地、資源)、(6)社会的・文化的環境によると述べている。さらにこの研究報告では、価格差を縮めるためにいくつかの提案を行っている。それらは(1)サービス部門の生屋性の向上、(2)輸入を促進させる、(3)参入障壁の除去と規制された産業の規制緩和、(4)公共料金を中心にした規制緩和、(5)土地の効率的な活用、(6)商慣習の変更、(7)流通部門のコスト削減、(8)消費者に対する情報開示などである。
そして、外国人の目ばかりでなく、私達日本の消費者の目からみても、規制緩和の必要が実感できる。経団連も、日本の国でビジネスを発展させていく上で各種の規制が邪魔になりつつあることを、いろいろな機会で指摘するようにかっている。元々、政・官・財のトライアングルの中で固有の利益を得てきた財界の中でも、規制を続けている産業と規制が邪魔になってきた産業の問で足並みが乱れてきたのである。そして経団連の一部でも、規制緩和はコストを下げる効果を持つということが公然といわれだしたのである。
元来、規制とは一種の独占市場を作ることである。免許制を採用すれば、明らかに参入の自由に抵触することになる。各種の規制を課すことによって、価格や品質以外の部分で企業が競争をすることとなり、「経済学的世界観」と相入れないところとなる。規制緩和の波を持続させるためには、国内市場における価格競争を供給者と流通部門において進めていく必要がある。
一九九四年に経済企画庁に設置された内外価格差に関する研究会において、生産性が小売価格を決定する重要な要因であるといっている。そして、各国の生産性の格差は(1)経済規模、(2)市場開放の程度、(3)規制緩和の程度、(4)商慣習、(5)要素賦存量(労働、土地、資源)、(6)社会的・文化的環境によると述べている。さらにこの研究報告では、価格差を縮めるためにいくつかの提案を行っている。それらは(1)サービス部門の生屋性の向上、(2)輸入を促進させる、(3)参入障壁の除去と規制された産業の規制緩和、(4)公共料金を中心にした規制緩和、(5)土地の効率的な活用、(6)商慣習の変更、(7)流通部門のコスト削減、(8)消費者に対する情報開示などである。
2015年1月16日金曜日
官邸の国会介入
ならば定数削減法案は、そんなに大事な法案なのか? そもそもリストラをうんぬんするくらいなら、二十人の定数削減でいくら金が節約できるのか、最初に計算してみる必要があろう。元朝日新聞編集委員で、政界事情に明るい石川真澄・新潟国際情報大学教授によると、国会議員一人当たりの直接経費は、一般に年間約七千万円といわれている。二十人なら、十四億円だ。二〇〇〇年度一般会計予算案の十万分の一・六にしかならない。ごくちっぽけな金額である。リストラの効果は知れている。同教授は、こう言っている。
「共産党が受け取りを拒否している政党助成金でも、二十八億円を超えます。そのお金は実質的に他の政党が山分けしている。全額を国庫に入れるだけでも、定数削減の倍の効果がある」(『週刊朝日』二〇〇〇年二月十八日号)
二十人の定数削減が、金銭的にたいしたリストラにならないことは、小渕首相も青木官房長官も、百も承知のうえだった。この二人がいちばん恐れたのは、法案の「冒頭処理」の約束を反故にしたら、自由党が「約束違反だ」として連立政権を離脱、小渕内閣が崩壊することだった。自由党を無理矢理連立政権に引き留めるためには、どうしても通常国会開会直後に法案を一気にあげるしか選択肢はなかったのだ。
こうして始まった定数削減法案の採決をめぐる与野党の攻防は、当時の新聞報道を総合すると、ほぼ次のような切羽つまっだものであった。最初の山場は、一月二十六日にきた。与党側は野党の反対を押し切って、まず衆院倫理・公職選挙法特別委員会で、法案の趣旨説明に続いて審議入りを強行。与野党間の調整に乗り出そうとした伊藤宗一郎衆院議長の「裁定」を無視して、与党だけの形式的な審議ののちいきなり採決を行った。
第二の山場となった二十七日は、官邸が前面に立って、正面から強行突破を図った。青木官房長官は国会に乗り込み、伊藤議長を電話に呼び出して、本会議開会のベルを押すよう強要。森幹事長に「議長のところへ行って勝負すべきだ」と迫った。青木長官に尻を叩かれて、議長室に駆け込んだ森幹事長は、「議長が本会議開会のベルを押さなければ、小沢自由党党首はきょうにも連立離脱を表明、自白公の枠組みが崩れる」と、泣きついた。
法案が二十七日、衆院本会議で与党三党によって単独強行採決され、参院に送付されると、官邸による議会介入は、一段とエスカレートした。翌二十八日、青木官房長官は斎藤十朗参院議長に電話をかけ、「冒頭処理は二月二日までのことだ」と猛烈な圧力をかけ、参院本会議を二日に開会させた。国会法を悪用して、地方行政・警察委員会の採決を省略したのだ。そして、本会議に中間報告を求める動議を提出して、突然強硬採決を図った。
同委員会の和田洋子委員長(民主党)は中間報告の中で、「このような行為は憲政史上かつてなく、参議院にとって大きな悪例として、汚点を残す以外のなにものでもない」と嘆いたが、後の祭りであった。こうして、定数削減法案は青木官房長官の思惑通り、二月二日の参院本会議で、オール野党欠席のまま可決、成立を見た。
連立政権維持という党利党略のため、国会法は破る。行政府が公然と立法府へ圧力をかけて、三権分立の原則を平然と犯す。これ以上露骨な官邸による議会介入はあるまい。定数削減法案の「冒頭処理」を強行した小渕連立内閣と自自公三党の暴挙は、まさに議会制民主主義の破壊そのものであった。
「共産党が受け取りを拒否している政党助成金でも、二十八億円を超えます。そのお金は実質的に他の政党が山分けしている。全額を国庫に入れるだけでも、定数削減の倍の効果がある」(『週刊朝日』二〇〇〇年二月十八日号)
二十人の定数削減が、金銭的にたいしたリストラにならないことは、小渕首相も青木官房長官も、百も承知のうえだった。この二人がいちばん恐れたのは、法案の「冒頭処理」の約束を反故にしたら、自由党が「約束違反だ」として連立政権を離脱、小渕内閣が崩壊することだった。自由党を無理矢理連立政権に引き留めるためには、どうしても通常国会開会直後に法案を一気にあげるしか選択肢はなかったのだ。
こうして始まった定数削減法案の採決をめぐる与野党の攻防は、当時の新聞報道を総合すると、ほぼ次のような切羽つまっだものであった。最初の山場は、一月二十六日にきた。与党側は野党の反対を押し切って、まず衆院倫理・公職選挙法特別委員会で、法案の趣旨説明に続いて審議入りを強行。与野党間の調整に乗り出そうとした伊藤宗一郎衆院議長の「裁定」を無視して、与党だけの形式的な審議ののちいきなり採決を行った。
第二の山場となった二十七日は、官邸が前面に立って、正面から強行突破を図った。青木官房長官は国会に乗り込み、伊藤議長を電話に呼び出して、本会議開会のベルを押すよう強要。森幹事長に「議長のところへ行って勝負すべきだ」と迫った。青木長官に尻を叩かれて、議長室に駆け込んだ森幹事長は、「議長が本会議開会のベルを押さなければ、小沢自由党党首はきょうにも連立離脱を表明、自白公の枠組みが崩れる」と、泣きついた。
法案が二十七日、衆院本会議で与党三党によって単独強行採決され、参院に送付されると、官邸による議会介入は、一段とエスカレートした。翌二十八日、青木官房長官は斎藤十朗参院議長に電話をかけ、「冒頭処理は二月二日までのことだ」と猛烈な圧力をかけ、参院本会議を二日に開会させた。国会法を悪用して、地方行政・警察委員会の採決を省略したのだ。そして、本会議に中間報告を求める動議を提出して、突然強硬採決を図った。
同委員会の和田洋子委員長(民主党)は中間報告の中で、「このような行為は憲政史上かつてなく、参議院にとって大きな悪例として、汚点を残す以外のなにものでもない」と嘆いたが、後の祭りであった。こうして、定数削減法案は青木官房長官の思惑通り、二月二日の参院本会議で、オール野党欠席のまま可決、成立を見た。
連立政権維持という党利党略のため、国会法は破る。行政府が公然と立法府へ圧力をかけて、三権分立の原則を平然と犯す。これ以上露骨な官邸による議会介入はあるまい。定数削減法案の「冒頭処理」を強行した小渕連立内閣と自自公三党の暴挙は、まさに議会制民主主義の破壊そのものであった。
2014年12月13日土曜日
熱帯雨林の役割
人類が活動を始める前には、地球Lの陸地面積の半分近く、約六〇〇〇万平方キロメートルが森林におおわれていたといわれています。現在、森林は約二○○万平方キロメートルと推計されていますから、半分近くにまで減ってしまったわけです。森林の消滅は第二次回界大戦後、とくにこの一〇年問、目立ちます。その人部分は熱帯林です。熱帯林は年平均一七万平方キロメートルの割合で消滅していると推計されています。日本の国土面積の約半分です。
一口に森林といっても、数多くの種類と形態があります。樹木の種類によって、広葉樹林、針葉樹林、竹林などに分けられたり、雨林、常緑季節林、落葉季節林などと呼ばれたりすることもあります。森林はまた、密生林、疎生林に分けられます。密生林というのは、樹冠(木の梢)がびっしり重なって、上からみるとすき間なく緑のじゅうたんを敷いたようになっている森林を指します。疎生林は、樹冠は連続していないが、少なくとも林地面積の一○%を占めていて、草地が連続的に林地をおおっているような森林を指します。人工林、休閑林地、濯木林なども森林に含まれます。
地球温暖化との関連で重要な役割をはたすのは熱帯雨林です。熱帯雨林は、年中を通じて雨の多い熱帯にある密生林を総称したものですが、地域によってさまざまな種類をもち、多様な形態をとっています。世界の熱帯林ニ○○○万平方キロメートルのうち、熱帯雨林は一ニ○○万平方キロメートルを占めています。このように、面積からみると、熱帯雨林は世界の森林のほぼ三分の一ですが、植物体の量でみると、熱帯雨林の占める割合ははるかに大きなものになります。
一般に、地表上にある生物体の量を、乾燥収量ではかってバイオマスとよびます。地球全体のバイオマスは現在約一兆ニ〇〇〇億トンと推計されています。人類が活躍する前には約一兆四〇○○億トンあったといわれていますから、約半分に減ってしまったことになります。地球上のバイオマス全体のうち、森林のバイオマスは約九〇パーセントを占め、熱帯林のバイオマスはその半分を占めるといわれています。
このように森林のバイオマスが巨大な量に上っているのは、樹木は何十年、何百年、ときには何千年も生きつづけて、植物体をつくるからです。樹木が成長するのは、一枚一枚の葉がせっせと光合成をおこなって有機物を生産しているからです。一枚一枚の葉には、多数の気孔があり、葉緑素がたくさん含まれていてさかんに光合成をおこなっています。光合成というのは、太陽の光エネルギーを利用して、大気中の二酸化炭素と水を合成して、炭水化物有機物をつくり、同時に酸素を放出することです。生命体を形づくっているのは有機物ですが、植物の光合成を通じてはじめて地球上の生命体が命を保つことができるのです。
一口に森林といっても、数多くの種類と形態があります。樹木の種類によって、広葉樹林、針葉樹林、竹林などに分けられたり、雨林、常緑季節林、落葉季節林などと呼ばれたりすることもあります。森林はまた、密生林、疎生林に分けられます。密生林というのは、樹冠(木の梢)がびっしり重なって、上からみるとすき間なく緑のじゅうたんを敷いたようになっている森林を指します。疎生林は、樹冠は連続していないが、少なくとも林地面積の一○%を占めていて、草地が連続的に林地をおおっているような森林を指します。人工林、休閑林地、濯木林なども森林に含まれます。
地球温暖化との関連で重要な役割をはたすのは熱帯雨林です。熱帯雨林は、年中を通じて雨の多い熱帯にある密生林を総称したものですが、地域によってさまざまな種類をもち、多様な形態をとっています。世界の熱帯林ニ○○○万平方キロメートルのうち、熱帯雨林は一ニ○○万平方キロメートルを占めています。このように、面積からみると、熱帯雨林は世界の森林のほぼ三分の一ですが、植物体の量でみると、熱帯雨林の占める割合ははるかに大きなものになります。
一般に、地表上にある生物体の量を、乾燥収量ではかってバイオマスとよびます。地球全体のバイオマスは現在約一兆ニ〇〇〇億トンと推計されています。人類が活躍する前には約一兆四〇○○億トンあったといわれていますから、約半分に減ってしまったことになります。地球上のバイオマス全体のうち、森林のバイオマスは約九〇パーセントを占め、熱帯林のバイオマスはその半分を占めるといわれています。
このように森林のバイオマスが巨大な量に上っているのは、樹木は何十年、何百年、ときには何千年も生きつづけて、植物体をつくるからです。樹木が成長するのは、一枚一枚の葉がせっせと光合成をおこなって有機物を生産しているからです。一枚一枚の葉には、多数の気孔があり、葉緑素がたくさん含まれていてさかんに光合成をおこなっています。光合成というのは、太陽の光エネルギーを利用して、大気中の二酸化炭素と水を合成して、炭水化物有機物をつくり、同時に酸素を放出することです。生命体を形づくっているのは有機物ですが、植物の光合成を通じてはじめて地球上の生命体が命を保つことができるのです。
2014年11月13日木曜日
民事・商事トラブルの主たる原因とは
もし民事だけで激しく争われていたのであれば、状況はまったく変わっていたかもしれません。某知事の目論見通りになっていた可能性も充分あったのではなかろうかという気がします。ともかくここで言えることは、日本では、民事紛争における証拠集めが、とても難しいということなのです。
日本の民事裁判で何か大変かというと、「ほとんど自分の手持ち証拠でやらなければいけない」という問題があります。これがアメリカと日本の大きな違いです。
裁判を起こそうとする場合は、「何か自分の手持ち証拠を持っていますか」と弁護士に聞かれます。「はい、持っています。この通りです」と言って完璧な証拠を出してこられる人は、逆にちょっと危ない人というか、注意しなければいけない依頼者であって、普通そのような人はなかなかいません。
刑事事件ならば、国家権力が捜査して強力に証拠を集めてくれます。しかし、それが犯罪事件として取り上げてもらえなければ、どうしようもありません。国民の多くが巻き込まれるのは、犯罪事件とまではいえないような民事・商事のトラブルなのです。
そうした事件では、たいてい過去に起きたことが問題となります。例えば相続問題であれば、その家族では何十年も昔のあの時どうだった、こうだった、というような話が非常に重要な争点になることがあります。
日本の民事裁判で何か大変かというと、「ほとんど自分の手持ち証拠でやらなければいけない」という問題があります。これがアメリカと日本の大きな違いです。
裁判を起こそうとする場合は、「何か自分の手持ち証拠を持っていますか」と弁護士に聞かれます。「はい、持っています。この通りです」と言って完璧な証拠を出してこられる人は、逆にちょっと危ない人というか、注意しなければいけない依頼者であって、普通そのような人はなかなかいません。
刑事事件ならば、国家権力が捜査して強力に証拠を集めてくれます。しかし、それが犯罪事件として取り上げてもらえなければ、どうしようもありません。国民の多くが巻き込まれるのは、犯罪事件とまではいえないような民事・商事のトラブルなのです。
そうした事件では、たいてい過去に起きたことが問題となります。例えば相続問題であれば、その家族では何十年も昔のあの時どうだった、こうだった、というような話が非常に重要な争点になることがあります。
2014年10月13日月曜日
日本の政策やビジネス慣行が原因
競争の面でも協調の面でも、二一世紀の日本は二〇世紀後半に経済的に大成功をおさめた日本とは異なる在り方を要求されるだろう。経済大国には特権かある半面、責任もある。経済大国の動きには世界経済の行方を左右するだけの影響力かあるのだから。日本も世界経済を支援し改善していこうという意識を持たなければならない。こうした意味で、日本の膨大な貿易黒字はアメリカ、ヨーロッパ、韓国、あるいは台湾だけの問題ではなく、日本にしか解決できない世界経済全体の問題としてとらえるべきだろう。
日本が来る年も来る年も巨額の貿易黒字を重ねていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。日本が世界じゅうの国々で資産をつぎつぎに買い占めていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。誰にも具体的な数字はわからないが、永遠に続かないことだけは確かだ。日本に対して支払わなければならない配当や利息が膨らみ続ければ、そのうちに各国の支払い能力を超えてしまう。だが、こういう形でゲームの終わりが来る前に、世界の国々は自国の市場から日本を締め出すだろう。そうなれば、日本は世界経済の舞台で孤立してしまう。
しかし、日米貿易赤字が解消不能なほど大きくならないように、よその国が外から手を加えて日本を改造しようとするのは、まちがいだ。これは、当事国の日本にしかできないことだ。実務的にも政治的にも、よその国が手を下して日本を改造することは不可能だ。日米の貿易問題に焦点を合わせたものではないが、日米間の貿易交渉や一九九二年一月にブッシュ大統領が訪日した際の話し合いの内容を見ると、まちがいがたくさん目につく。アメリカ政府は、対米黒字を減らすために経済をこう改造しろああ改造しろと日本に指図すべきではない。
また、指図する立場にもない。日本の有権者が安い品物を欲しくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。コメの値段が世界の相場よりはるかに高くてもいい、家が狭くてもいいと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の消費者がアメリカやヨーロッパや環太平洋の新興経済諸国で作られた製品を買いたくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の国民が消費生活水準をもっと向上させるために現在の経済システムを変えたいと思うのなら、彼らが自分たちで政治に訴えて希望をかなえるべきなのだ。
もちろん、日本の政策やビジネス慣行が原因で恒常的な貿易赤字を被っている国は、現状をなんとか変えなくてはならない。しかし、結局は自国の側で解決策を実行する以外に手はないだろう。対日赤字を解消するためには、自分たちの経済競争力を強化するか、日本の市場に参入するなんらかの手段を見つけるか、自国の通貨価値を下げるか、日本からの輸出攻勢を食い止めるかしなくてはならない。日本としては、事態を放置して相手国にそのような措置を取られた場合と、自分からすすんで貿易黒字を減らす対策を講じた場合と、どちらか打撃が小さくて済むか、考えてみたほうがいい。
日本からはっきりと頼まれないかぎり、いかに善意であっても。アメリカは公式にも非公式にも「日本はこう変わるべきだ」などと口出ししないことだ。第二次世界大戦は、はるか過去になった。二一世紀の日本のあるべき姿は、日本人が明快な手続きを経て自分たちの意思で決めていくだろう。第二次世界大戦直後にアメリカが描いて与えた日本の姿は、もう時代おくれだ。また、たとえ時代おくれでなくても、日本にとって自分の意思で決めた政治・経済体制のもとで生きていくことは、心理的に大きな意味を持つはずだ。
日本が来る年も来る年も巨額の貿易黒字を重ねていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。日本が世界じゅうの国々で資産をつぎつぎに買い占めていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。誰にも具体的な数字はわからないが、永遠に続かないことだけは確かだ。日本に対して支払わなければならない配当や利息が膨らみ続ければ、そのうちに各国の支払い能力を超えてしまう。だが、こういう形でゲームの終わりが来る前に、世界の国々は自国の市場から日本を締め出すだろう。そうなれば、日本は世界経済の舞台で孤立してしまう。
しかし、日米貿易赤字が解消不能なほど大きくならないように、よその国が外から手を加えて日本を改造しようとするのは、まちがいだ。これは、当事国の日本にしかできないことだ。実務的にも政治的にも、よその国が手を下して日本を改造することは不可能だ。日米の貿易問題に焦点を合わせたものではないが、日米間の貿易交渉や一九九二年一月にブッシュ大統領が訪日した際の話し合いの内容を見ると、まちがいがたくさん目につく。アメリカ政府は、対米黒字を減らすために経済をこう改造しろああ改造しろと日本に指図すべきではない。
また、指図する立場にもない。日本の有権者が安い品物を欲しくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。コメの値段が世界の相場よりはるかに高くてもいい、家が狭くてもいいと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の消費者がアメリカやヨーロッパや環太平洋の新興経済諸国で作られた製品を買いたくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の国民が消費生活水準をもっと向上させるために現在の経済システムを変えたいと思うのなら、彼らが自分たちで政治に訴えて希望をかなえるべきなのだ。
もちろん、日本の政策やビジネス慣行が原因で恒常的な貿易赤字を被っている国は、現状をなんとか変えなくてはならない。しかし、結局は自国の側で解決策を実行する以外に手はないだろう。対日赤字を解消するためには、自分たちの経済競争力を強化するか、日本の市場に参入するなんらかの手段を見つけるか、自国の通貨価値を下げるか、日本からの輸出攻勢を食い止めるかしなくてはならない。日本としては、事態を放置して相手国にそのような措置を取られた場合と、自分からすすんで貿易黒字を減らす対策を講じた場合と、どちらか打撃が小さくて済むか、考えてみたほうがいい。
日本からはっきりと頼まれないかぎり、いかに善意であっても。アメリカは公式にも非公式にも「日本はこう変わるべきだ」などと口出ししないことだ。第二次世界大戦は、はるか過去になった。二一世紀の日本のあるべき姿は、日本人が明快な手続きを経て自分たちの意思で決めていくだろう。第二次世界大戦直後にアメリカが描いて与えた日本の姿は、もう時代おくれだ。また、たとえ時代おくれでなくても、日本にとって自分の意思で決めた政治・経済体制のもとで生きていくことは、心理的に大きな意味を持つはずだ。
2014年9月12日金曜日
伝統的なアメリカ人の価値観
「オズの魔法使い」の最初の刊行から二〇年ほど前のことです。一八八〇年から九六年にかけて、アメリカでは物価が二三%も下がりました。当時、西部の農民の多くが、東部の銀行からの借金で開拓を行っていたため、農民は苦しみ、銀行などの産業資本は潤うことになりました。デフレではお金の価値が上がり、借金が膨らむことになるからです。当時はアメリカを含む多くの国々が、貨幣制度として金本位制を採用していました。金本位制とは、金を本位貨幣とし、通貨の単位価値と一定重量の金とが、金兌換(交換)・自由輸出入を通じて、等位関係で結びつけられている制度です。ざっくりいえば、一国のお金の価値が、その国がもつ金の価値で裏づけられている、ということです。
ちなみに現在は、一国の通貨の数量を、金の保有量などによって決めるのではなく、通貨当局(中央銀行)が通貨価値の安定、完全雇用の維持など、経済政策上の目標に従って管理する制度(通貨管理制度)がとられています。金の制約から自由になって、お金の量を決めることができるわけですね。話を戻すと、この強烈なデフレは、拡大するアメリカ経済に対して、金貨の供給が追いつかないことで発生したのでした。対策としては、金銀複本位制を採用して通貨の量を増やすしかありませんでした。金銀複本位制とは、通貨の裏付けとして、金だけでなく銀も用いる制度です。当然、金本位制に比べて通貨の発行量を増やすことができます。いずれにせよ、お金の量が金や銀の量で決まることに変わりありませんが。
実際、一八九六年のアメリカ大統領選挙では、これが大きな争点になりました。共和党のマッケンジー候補は金本位制を、民主党のブライアン候補は金銀複本位制を主張したのです。今日的な言葉でわかりやすくいいかえれば、共和党はデフレ政策を、民主党はリフレ政策(インフレにならない程度の物価上昇政策)を主張したというわけです。「オズの魔法使い」の登場人物に話を戻しましょう。まず「オズ=OZ」は金の単位であるオンスの略号です。主人公ドロシーは伝統的なアメリカ人の価値観を表しています。カカシは農民、ブリキの木こりは産業資本、ライオンは民主党のブライアン候補です。
最後にドロシーは、自分の家に帰る道を見つけるのですが、それは黄色い煉瓦道(金本位制)を単純にたどるものではありませんでした。自分の銀のスリッパ(金銀複本位制)の魔力でやっと帰ることができたのです。実際の大統領選挙では、共和党のマッケンジーが勝ち、金本位制が維持されました。それで、デフレから脱却できたのでしょうか?実は、一八九八年にアラスカで金鉱が発見され、さらに南アフリカからも金が持ち込まれるようになり、結果として十分な通貨量になりました。このため、一五年くらいでデフレ前の物価水準まで回復するような、マイルドなインフレになりました。単純に金本位制を維持したから、デフレが解消したというわけではなかったのです。
城山三郎氏の『男子の本懐』という小説があります。もう二〇年以上経ちますが、私か社会人になったとき、新人研修で同書の感想文を書くという課題が出されました。この小説は、昭和初期の世界大恐慌の中で、金解禁(金を自由に輸出する金輸出解禁のことで、金本位制への復帰のための措置)を断行した当時の首相・浜口雄幸と大蔵大臣・井上準之助の物語です。テレビなどでも取り上げられ、亡くなった小渕恵三元首相も好んでいたように、当時もいまも多くの人が好意的な印象をもっているでしょう。
ちなみに現在は、一国の通貨の数量を、金の保有量などによって決めるのではなく、通貨当局(中央銀行)が通貨価値の安定、完全雇用の維持など、経済政策上の目標に従って管理する制度(通貨管理制度)がとられています。金の制約から自由になって、お金の量を決めることができるわけですね。話を戻すと、この強烈なデフレは、拡大するアメリカ経済に対して、金貨の供給が追いつかないことで発生したのでした。対策としては、金銀複本位制を採用して通貨の量を増やすしかありませんでした。金銀複本位制とは、通貨の裏付けとして、金だけでなく銀も用いる制度です。当然、金本位制に比べて通貨の発行量を増やすことができます。いずれにせよ、お金の量が金や銀の量で決まることに変わりありませんが。
実際、一八九六年のアメリカ大統領選挙では、これが大きな争点になりました。共和党のマッケンジー候補は金本位制を、民主党のブライアン候補は金銀複本位制を主張したのです。今日的な言葉でわかりやすくいいかえれば、共和党はデフレ政策を、民主党はリフレ政策(インフレにならない程度の物価上昇政策)を主張したというわけです。「オズの魔法使い」の登場人物に話を戻しましょう。まず「オズ=OZ」は金の単位であるオンスの略号です。主人公ドロシーは伝統的なアメリカ人の価値観を表しています。カカシは農民、ブリキの木こりは産業資本、ライオンは民主党のブライアン候補です。
最後にドロシーは、自分の家に帰る道を見つけるのですが、それは黄色い煉瓦道(金本位制)を単純にたどるものではありませんでした。自分の銀のスリッパ(金銀複本位制)の魔力でやっと帰ることができたのです。実際の大統領選挙では、共和党のマッケンジーが勝ち、金本位制が維持されました。それで、デフレから脱却できたのでしょうか?実は、一八九八年にアラスカで金鉱が発見され、さらに南アフリカからも金が持ち込まれるようになり、結果として十分な通貨量になりました。このため、一五年くらいでデフレ前の物価水準まで回復するような、マイルドなインフレになりました。単純に金本位制を維持したから、デフレが解消したというわけではなかったのです。
城山三郎氏の『男子の本懐』という小説があります。もう二〇年以上経ちますが、私か社会人になったとき、新人研修で同書の感想文を書くという課題が出されました。この小説は、昭和初期の世界大恐慌の中で、金解禁(金を自由に輸出する金輸出解禁のことで、金本位制への復帰のための措置)を断行した当時の首相・浜口雄幸と大蔵大臣・井上準之助の物語です。テレビなどでも取り上げられ、亡くなった小渕恵三元首相も好んでいたように、当時もいまも多くの人が好意的な印象をもっているでしょう。
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