2016年2月12日金曜日

尽きたエネルギー

実際にその後、細川政権の政策がどの程度実現され、何か変わったのかについての分析は第二部以降に譲るとして、政権交替の実現が、何かが変わるという期待を人々に抱かせたことはたしかだった。細川内閣の支持率が発足直後の九月はじめ、七一%に達し、その理由に、「なんとなく政治に変化が期待できそうだから」をあげた人が三七%にものばったことも、そのことを示していた(朝日新聞、九三年九月八日)。しかし、その曖昧さは、また、何かが変わらないと人々が判断したとき、内閣は行き詰まることを示していた。

細川内閣の政策面での実績は、小選挙区比例代表並立制による選挙制度の改革が、日本政治に与えた影響の大きさという意味では最大であろう。コメ市場の部分開放も、その決定に細川首相自身の指導力があったか否かは別にして、歴史に残る。しかし、在任期間八ヶ月はあまりに短かった。

首相就任時に政治改革と並んであげた行政改革、規制緩和、税制改革の多くは緒についただけか、積み残しとなって終わった。特に、九四年二月三日に突然明らかにされた、大型恒久減税の代わりに消費税率を七%にあげるという国民福祉税構想は、与党内の事前調整が十分得られず、わずか五日後に撤回された。

九三年八月二三日に行われた所信表明演説を読み返してみると、細川自身、唯一最大の課題として、政治改革関連法案の成立をあげていたことがわかる。演説冒頭で、冷戦の終焉によって、日本の政治の二極化の時代も終わりをつげ、二一世紀に向けた新しい時代が幕を開くことになったと強調する一方、「今回の選挙で国民の皆様方から与えられました政治改革実現のための千載一遇のチャンスを逃すことなく、『本年中に政治改革を断行する』ことを私の内閣の最初の、そして最優先課題とさせていただきます」と述べていた。

また、政治腐敗の温床である、政・官・業の癒着体質や族議員政治の打破についても触れている。その意味では、九四年一月二八日に難産の末、小選挙区比例代表並立制の導入が決まった時点で、細川内閣のエネルギーは燃え尽きていたとみることもできる。