2015年10月13日火曜日

日本企業への三下り半

「火だるまになってもやりとげる」日本版金融ビッグバンの構想が、橋本首相(当時)のかけ声よろしく打ち出された頃は、英国の「金融ビッグバン・ウィンブルドン現象」の連想から、日本の金融機関も相次いで外資の手中に陥るのかという議論が横行したものである。

その後は足下の金融危機と不況の深刻化で、メディアも外資の攻勢に気をもむ余裕さえ失っていた感がある。そして、気がつけば旧山一燈券の三十三の店舗と約二千名の従業員をメリルリンチが、消費者金融のレイク、東邦生命、日本リースをGEキャピタルが手中に収めたように、早くも破綻や経営危機から外資の軍門に降るケースが現実のものとなってきた。

東京三菱の役員をしている友人が、東大からの志願者が激減したので私立大の内定を増やしたと嘆いていた。すこしは官僚体質が減るのでむしろ喜ばしいのでは、と内心思ったが、友人は本当に心配そうだった。東大生の外資系希望者が九七年には四%未満だったのに、九八年は二六%を超える伸びを示し、一橋その他でも似たような状況だと新聞も報じていた(朝日新聞一九九八年六月六日)。ある東大生は「定年までずっと守ってくれるという日本企業への信頼感が崩れた。本格的な競争社会で生き残る自信もある」という。

時代は急速に変わっている。外資系に入社しようとする若者の意気込みが、寄らば大樹の陰を望む大方の有名大学の学生とはまるで違うという話を、一橋大学の中谷巌教授から聞いたことがある。ある外資系金融機関に就職することになったゼミ生は、内定するや、ゼミでの報告を英語でやらせてほしいと希望し、見る見るうちにプレゼンテーション技術も英語力も向上したし、英語のファイナンス理論の教科書を熱心に読むようになったという。

それは日本の一流会社に就職した他の学生が、一安心して海外旅行などで遊び回るのと好対照であり、その理由を探ると、彼には初任給七〇〇万円と他の学生の倍以上の年俸が三年間保証されているが、その後は業績次第で一五〇〇万円に昇給するか、後方事務部門に配置されて賃下げとなるかが決まる、という事情が明らかになったそうだ。