2014年10月13日月曜日

日本の政策やビジネス慣行が原因

競争の面でも協調の面でも、二一世紀の日本は二〇世紀後半に経済的に大成功をおさめた日本とは異なる在り方を要求されるだろう。経済大国には特権かある半面、責任もある。経済大国の動きには世界経済の行方を左右するだけの影響力かあるのだから。日本も世界経済を支援し改善していこうという意識を持たなければならない。こうした意味で、日本の膨大な貿易黒字はアメリカ、ヨーロッパ、韓国、あるいは台湾だけの問題ではなく、日本にしか解決できない世界経済全体の問題としてとらえるべきだろう。

日本が来る年も来る年も巨額の貿易黒字を重ねていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。日本が世界じゅうの国々で資産をつぎつぎに買い占めていったら、世界経済はいつまで機能できるだろうか。誰にも具体的な数字はわからないが、永遠に続かないことだけは確かだ。日本に対して支払わなければならない配当や利息が膨らみ続ければ、そのうちに各国の支払い能力を超えてしまう。だが、こういう形でゲームの終わりが来る前に、世界の国々は自国の市場から日本を締め出すだろう。そうなれば、日本は世界経済の舞台で孤立してしまう。

しかし、日米貿易赤字が解消不能なほど大きくならないように、よその国が外から手を加えて日本を改造しようとするのは、まちがいだ。これは、当事国の日本にしかできないことだ。実務的にも政治的にも、よその国が手を下して日本を改造することは不可能だ。日米の貿易問題に焦点を合わせたものではないが、日米間の貿易交渉や一九九二年一月にブッシュ大統領が訪日した際の話し合いの内容を見ると、まちがいがたくさん目につく。アメリカ政府は、対米黒字を減らすために経済をこう改造しろああ改造しろと日本に指図すべきではない。

また、指図する立場にもない。日本の有権者が安い品物を欲しくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。コメの値段が世界の相場よりはるかに高くてもいい、家が狭くてもいいと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の消費者がアメリカやヨーロッパや環太平洋の新興経済諸国で作られた製品を買いたくないと言うのなら、それはそれで仕方がない。日本の国民が消費生活水準をもっと向上させるために現在の経済システムを変えたいと思うのなら、彼らが自分たちで政治に訴えて希望をかなえるべきなのだ。

もちろん、日本の政策やビジネス慣行が原因で恒常的な貿易赤字を被っている国は、現状をなんとか変えなくてはならない。しかし、結局は自国の側で解決策を実行する以外に手はないだろう。対日赤字を解消するためには、自分たちの経済競争力を強化するか、日本の市場に参入するなんらかの手段を見つけるか、自国の通貨価値を下げるか、日本からの輸出攻勢を食い止めるかしなくてはならない。日本としては、事態を放置して相手国にそのような措置を取られた場合と、自分からすすんで貿易黒字を減らす対策を講じた場合と、どちらか打撃が小さくて済むか、考えてみたほうがいい。

日本からはっきりと頼まれないかぎり、いかに善意であっても。アメリカは公式にも非公式にも「日本はこう変わるべきだ」などと口出ししないことだ。第二次世界大戦は、はるか過去になった。二一世紀の日本のあるべき姿は、日本人が明快な手続きを経て自分たちの意思で決めていくだろう。第二次世界大戦直後にアメリカが描いて与えた日本の姿は、もう時代おくれだ。また、たとえ時代おくれでなくても、日本にとって自分の意思で決めた政治・経済体制のもとで生きていくことは、心理的に大きな意味を持つはずだ。