2014年8月18日月曜日

日本の資金還流措置

七〇年代中葉にアメリカのドルたれ流しとオイルーダラーで、ユーロドル市場でドルがだぶついたが、先進国不況で借手が少なかった時期に先進国金融機関は中所得途上国への貸付けに力をいれた。途上国公的債務の三分の一石民間部門からのもので、八〇年代はじめの新規借入金利は一一-一二%(平均金利八-九%)ときわめて高い。他方でアメリカが高金利時代に入り、こうして借り入れた途上国資金がアメリカに還流し、途上国が新規借入れをよぎなくされた面もある。じっさい、多くの途上国で資本逃避(capital flight)は莫大な額に上り、モルガン信託銀行が行なった調査では、ラテンアメリカー○国で一九八三i八五年の期間に、新規借金額の七割が海外逃避した、という。

第三に先進国の軍拡競争が第三世界に波及してきて、兵器輸入額がめざましく上昇した。途上国の債務残高は近年五〇〇億ドル程度ずつふえているが、兵器の輸入額は八〇年に二〇〇億ドル余に及んでいる。兵器は借款をつけて供与されることが多いし、また一度輸入されると、維持・部品補給・兵器システムのグレードアップなどにより、たえず輸入をふくらませる。兵器とともに不生産的な輸入として、近年食糧輸入が増加し、輸入の一〇-一五%を占めていることも、途上国の貿易収支が改善しない理由である。

以上は、中所得国の債務増大の理由だが、低所得国に債務問題がないということではなく、低所得国こそは世界インフレのあおりで、本当は資金が必要なのだが、先進国銀行には貸してもらえなかった、というのが真相である。とりわけ一九八三年から八六年にかけて、主要な一次産品価格は平均三〇%程度低落し、その後若干市況は回復したものの八九年に商品価格の総合指数はいまだ八〇年水準を回復していない。発展途上国の輸出収入はこの間大きく低落し、多くの国で国民所得の伸びを横ばいないし低下させた。

九〇年五月にニューヨークで開かれた経済開発のための国連特別総会で途上国は八〇年代を「失われた一〇年」として南の困難をうったえた。また、七〇年代から八〇年代にかけて、南の諸国内部で貧困問題が高まってきたことも注目される。世界銀行は、一九九〇年の『世界開発報告』を「貧困」問題の特集としているが、この報告によれば、世界の貧困人口二人当たり所得三七〇ドル以下)は八五年時に一一億二○○○万人、途上国の四人に一人と見積っている。同じ世界銀行は、一九六九年に貧困人口(当時は一人当たり所得七五ドル以下)を五億七八〇〇万人とみていたので、この二八年間に世界の貧困人口は倍増したことになる。もっとも「貧困」を一人当たり所得水準でみることがどれだけ妥当性をもつか、については議論の余地があるが、いずれにしてもこのような貧困人口の増大により、DAC(開発援助委員会)諸国も後述するように「裾野の広い経済成長」の考え方を経済協力の目標としておし出すことになった。

一九八〇年代前半にアメリカ、ECの大幅の貿易赤字、OPECや途上国の原燃料価格低下に伴う困難のなかで、日本、西ドイツ、そして台湾・韓国等のNIESは大幅の貿易黒字を計上した。日本の貿易黒字は八五年に四六一億ドル、八八年に九五〇億ドルに達した。ここから海外諸国は日本の黒字稼ぎに批判を集中し、日本たたきとよばれる現象も生じた。既に日本政府は八六年末、世界銀行に「日本特別基金」(二〇億ドル)を創設するなど、約一〇〇億ドルの途上国にたいする資金還流策を示していたが、その後さらに二〇〇億ドルを追加し、八七-八九年の三年間に総額三〇〇億ドルを途上国に還流させた。