2014年4月17日木曜日

第一次バーゼル協定

バーゼル委員会が七四年に設置され、国際金融危機のリスクにどう取り組むかを協議することになったのは、ペルシュグッド銀行など数行が相次いで経営破綻に陥り、ユーロ市場が一時的にせよ窮境に追いやられたためであった。そして七五年に同委員会は「第一次バーゼル協定」を取りまとめた。

この協定では、ユーロ市場で活動しているいかなる銀行も、当局の何らかの監督下に置かれることが合意された。ここでは、実際の監督に当たってば、ユーロ市場で活動している銀行が母国銀行の支店形態であれば母国の金融当局、またユーロ銀行が現地法人であれば、そのユーロ銀行の受入れ国におげる金融当局が中心になるものとされた。ただし、ユーロ銀行がいかなる形態であるとしても、主たる監督責任は母国の金融当局であることでも合意をみていた。

「第一次バーゼル協定」に不備があることはすぐに明らかになった。まず第一の問題点は、ユーロ銀行の受入れ国がそのユーロ銀行を監督する上で種々の情報を入手しえたとしても、金融制度や慣行、及び銀行行動が各国において相当に異なるため、現実には役に立ち難いことである。第二の問題点は、スイスなどが典型的だが、金融機関に対し守秘義務を法律で定めている国が存在することである。

このため、こうした国を母国とするユーロ銀行の受入れ国にとっては、実効的な監督は本来的に無理となる。ユーロ市場では巨大な規模に膨張したインターパンク取引を通じて、各国の多数の銀行が緊密な相互依存関係にあり、ユーロ銀行の監督上で重大な欠陥が一部にでも存在すれば、ユーロ市場全体の問題であるシステミックーリスクヘの対応という点では、ほとんど有効的ではなくなるのである。

バーゼル委員会は八一年に入って、こうした問題点への対応を含めて、第一次協定の改善策を打ち出した。主な改善点は、ユーロ銀行の監督において母国責任主義を強化したことであった。これはユーロ銀行といえども、結局は受入れ国よりも母国の金融当局のほうがより有効的で適切な監督、及び情報入千加可能だと想定されたためであった。だが、この想定が八二年に入ってあっけなく潰えてしまった。