2013年8月28日水曜日

沖縄の道路がいちばんきれい

さらに沖縄県へ直接支出されたものではないが、「思いやり予算」という世界でも例にない馬鹿げた出費がある。日本に駐留する米軍の苦労を思いやって駐留経費を負担しましょうというものだ。たとえば、〇四年の「思いやり予算」の内訳は、基地従業員の労務費一四三〇億円、基地施設の建設費七四九億円、電気やガスなどの水光熱費二五八億円、空母艦載機のNLP(夜間離着陸訓練)「移転」費四億円、などあわせて二四四一億円となっている。また、米軍基地に土地を提供している軍用地主約三万三〇〇〇人に、年間約八〇〇億円か地代として支払われている。これら米軍関係に支出された莫大なカネが沖縄経済に投下されているのである。小泉政権の三位一体改革で地方自治体が絞り上げられる一方で、沖縄には補助金が湯水のようにつぎ込まれた。

『琉球の「自治」』(藤原書店)によれば、沖縄の名目県民総所得の、実に約四割が国の補助金だという。これほど補助金漬けになった自治体は他に例がないだろう。言うまでもなく米軍基地があるからだ。米軍基地を受け入れているという痛みに対して、当然の報酬だという意見がある。私もその通りだと思う。貰えるものはどんどん貰えばいいし、むしろもっと貰ってもいいと私は思っている。しかし、これほど税金をつぎ込んだのに、いまだに県民所得が全国平均の七割で、完全失業率は日本一の七・四%(二〇〇八年平均)と全国平均四・〇%の倍近く、今も最貧県のままというのは、どう考えてもおかしい。「どこか間違っているんじゃないの?」と思うのは私だけではないだろう。

復帰以降、十数兆円の補助金が使われたということは、県民一人あたり1000万円ぐらいは受け取った計算になる。それなのに、どうしていまだに貧乏県のままなのだろう。理由の一つは、一部の人がカネを受け取って、それが下まで還流してこないびつな社会構造が考えられる。このことは後述するとして、やっぱりもらった金を公共工事で食いつぶしてしまい、新たな産業を創出しなかったことに大きな原因があるのだと思う。 私は公共工事を全否定するつもりはない。沖縄には必要だったと思っている。ただし、その内容が問題で、海岸を埋め立て、アスファルトをひき、コンクリートを流し込むといった単純作業を繰り返してきたことに問題があるのだ。

たとえば、亜熱帯の海と一体化したハイウェイ等、なぜ沖縄らしい都市計画にこだわらなかったのだろう。安っぽいコンクリートの建造物など、一〇〇年のスパンで考えたら、ただゴミを増やしているようなものだ。沖縄県と建設業者は、もはや運命共同体。〇七年の春から、私は、沖縄南部にある久高島に通っている。久高島が神の島と呼ばれるのは、琉球の祖神アマミキヨが初めて降り立った場所であり、沖縄に五穀をもたらした聖地であるからだ。もっとも、観光用パンフレットを開けば、そんなことはいくらでも書かれている。私の関心はそのことではなく、この島に不登校児など、全国から問題を抱えた小中学生がやってくるが、その多くが一、二年後に普通の子供として卒業していく奇跡である。

前置きが長くなってしまったが、那覇空港に着くと、私はいつもお願いしているタクシーに乗って安座真港に向かうが、那覇からほぼ直線状に最短距離で向かうので、沖縄の名門ゴルフ場と言われる「琉球ゴルフ倶楽部」の前を通っていく。ここは東京の大手芸能プロダクションが買収したゴルフ場とかで、本土から芸能人もよくやってくるそうだが、私はゴルフにはまったく興味がないので噂に聞くだけである。その前を通りながら、顔なじみの運転手はこう言った。「二〇年前と比べて、沖縄がよくなったことといえば道路だけですね。生活はちっともよくならないけど、道路だけはどんな田舎に行っても、きれいに舗装されています。全国でも、沖縄の道路はいちばんきれいじゃないですか」