2013年7月5日金曜日

NAFTAと雇用

強いていえば、NAFTAがなければ、現在メキシコからの工業製品輸入にかけられている四パーセントの平均関税率が据え置かれることになり、製造業では低賃金のわずかな雇用を一時的に維持できるかもしれない。しかし、NAFTA反対派がいちばん懸念している長期的なサービス化の流れをせき止めることはおろか、流れを緩めることすらできそうにない。しかし、悪い理論が良い理論を駆逐するのが政治の現実だ。NAFTA反対派が単純で受けのよい論法を使っているため、賛成派も程度の差はあれ、おなじような論法で応酬している。現在、政府内外のNAFTA推進派が掲げているバラ色の見通しによれば、数十万人の高賃金の雇用が創出され、アメリカの競争力は飛躍的に向上し、北米全体が繁栄するという。これは、反対派の見通しほど的外れではないものの、現実をかなり誇張していることはたしかである。

NAFTAが雇用にあたえる影響をめぐって、議論が沸騰している。反対派の主張として、メキシコからの輸入とメキシコへの資本流出により、アメリカで数十万人の雇用が失われるという意見もある。これに対し、賛成派の主張としては、NAFTAによってメキシコ経済が急成長することで、アメリカにとっては輸出市場が大幅に拡大し、数十万人の雇用が増加するという見方が多以。いずれも正しい見方ではないし、その中間が正しいわけでもない。貿易によって雇用がどれだけ増えるとか減るとかいった問題の立て方そのものが、アメリカ経済の仕組みを誤解している証拠である。とりわけ、NAFTAが雇用にどのような影響をあたえようとも、他の経済政策、とくに金融政策によってかならずそれが相殺される事実が見落とされている。

この点は知的水準の高い人にすら、なかなか理解してもらえない。まず、経済が複雑なシステムであること、そこではすべての要素が互いに影響しあっていることを指摘すると、全員が理解する。ところがつぎに、貿易政策の変更による影響を理解しようとすれば、金融当局がどのような対応をとるかを考慮しなくてはならないと指摘すると、とたんに不機嫌になる。しかし、この指摘は正しいのだ。そこで、今後一〇年間のアメリカ経済を、ボストンからニューヨークまでのドライブにたとえてみよう。一〇年間の雇用の平均水準を、この区間の車の平均スピードと考える。NAFTAが雇用にあたえる直接の影響(雇用がどのくらい増えるか減るか)を、車が高速道路を進むときに受ける風の影響(向かい風を受けるか追い風を受けるか)に置き換える。

この場合、NAFTAによる雇用全体への影響を予測することは、車のスピードに風がどのくらい影響するかを予測するのに相当する。実際に行われている雇用予測も、これとおなじことをしている。つまり、雇用以外の条件がまったく変化しないと想定しているのだ。これを車の例に当てはめてみると、風があるときも、風がないときとまったくおなじ量のガソリンがエンジンに供給されると想定するようなものだ。こんな方法で車の速度を予測できるとは、だれも思わないだろう。車を運転するのはドライバーだし、ドライバーはただ座っているだけではないのだ。アクセルでガソリンの流れを調節して、思いのままにスピードをコントロールする。

わたしは高速道路では時速約一〇〇手口(制限速度を超えている)で走ることが多い。理由は、いつも急いでいるからだが、それ以上スピードを出さないのは、警察の目につきたくないからだ。時速一〇キロ程度の向かい風や追い風では、車の平均速度は変わらない。アクセルの踏み込みを変えて、風の影響を相殺するだけだ。アメリカ経済にもドライバーがいる。連邦準備制度理事会(FRB)だ。FR13の公開市場委員会はほぼ六週間ごとに会議を開き、金利の目標圏を決定する。失業率に対する影響という点から見れば、この決定はどんな貿易政策よりも、はるかに大きな影響力をもっている。さらに、景気の状況に応じて決定が行われる。利上げか利下げかは、FRBが、
雇用拡大(目的地に急ぐこと)の必要性とインフレ(スピード違反のチケット)の懸念のどちらを重く見るかによって決まる。FRBが判断を誤った結果、予想以上にインフレ率が上がったり、雇用が減少したりする場合も少なくないが、いずれにせよFRBの行動は、アメリカの雇用の増減を左右する最大の要因である。