2012年9月19日水曜日

基本的な道具のこと

ものごとについて、その名まえをたしかめるというりは子どもっぽいといえば子どもっぽいしごとのようにきこえるが、とにかく、ひとつひとつのことばを知らなければ、なんにも書けない。たとえ。なにか書けたとしても、ことぱを知らないと、ずいぶんあやふやなことになる。そして、いくら考えたって、ことばを勝手に発明するわけにはゆかないから、どうにかして、ことばを知る手段をととのえなければならない。

前節にのべたように、いちばんいい方法は、よく知っている人にきくことである。照れたり恥ずかしがったりせずにきく。しかし、知っている人がいないこともあろうし、また、きいてみたが、たんとなく心もとない、ということもあろう。そういうときは、じぶんで、ことぱをしらべなければならぬ。そして、しらべるために、いろんな道具がある。

まず第一は、辞書である。もっとも辞書というものは、どちらかといえば、文章を読むときのほうが使う回数が多い。本を胱んでいて、あたらしいことばにぶつかったとき、これはどういう意味だろう、とひいてみる。そういうときに辞書は便利だし、おおむね、辞書というものは、そんなふうに使われている。しかし文章を書くときにも、はたしてじぶんの使おうとしていることぱが適切であるかどうかをたしかめるために、国語辞典を一冊、手もとにおいておくことは絶対必要な条件だろう。

どこの出版社のどの辞典がいい、といった判定や推せんは、ここではしない。また、わたしにはその能力もない。しかし、われわれがふつうに使うのには、小型の辞書でじゅうぶんだ。大きな辞典のほうがボキャブラリーの数は多いし、定義もゆたかでくわしいから、より完全にはちがいないが、たとえていうなら、それはプロ用のスタジオーカメラのようなものであって、それがアマチュアの実用に便利かどうかは別問題だ。アマチュアのカメラは小型で機動性に富んでいて、安い、というのが条件なのである。

とりわけ、いたるところで必要におうじて辞書を使う、ということになれば。カバンのなかにポソといれておくことのできる大きさがなにかにつけてぐあいがよい。もちろん書斎用に大型の辞典をもつ、というのは結構なことだけれども、そのばあいでも、べつに小型版を一冊もっていることが必要だろう。